自由な時間はいつもどおり、無駄づかいする

正社員終了まで1ヶ月、変わったこと

正社員終了まで、1ヶ月を切った。来月からは、いよいよパート職員になるが、やる仕事は変わらないので、心境の変化はほとんどない。

 

と、思ったのだが、少しだけ、周囲が変化したように思う。それは、すなわち、自分の変化でもあるので、やはり、変化はあったのかもしれない。

 

大したことではないのだけれど、少し、同僚や先輩との距離が広がったように感じる。社員だった頃は、なんとなく、みんなとの仲間意識が強かった。それが、パートになると決めてから、徐々にではあったが、よそよそしくなった人もいた。

 

いや、私自身が、なんとなく、みんなが話している輪の中へ、入っていくことをしなくなったのだ。

 

思うに、今までは、会社への不満(悪口)を表明することで、つながりを保っていたのだろうと思う。パートになると決めてから、会社への興味がだんだんと薄れていっている。もう、会社がなにをしようが、心底どうでもいい。

 

どんなに納得のいかないことをされようが、それは、私には関係ない。どうなろうとも、自分自身でなんとかしていく。嫌なら、もう、あとは、辞めるだけだ。そういう想いが一層強くなった。だから、みんなと話していても、響いてこないのだ。

会社への不満という「たが」を外して

有給の消化で、出勤日数が少なくなってきた影響も大きい。会う回数が減れば、そりゃあ、距離は離れていく。パートと社員では、給料だけでなく、その立場も違ってくるしね。共通の話題が極端に少なくなっていくのは、当然といえば、当然だ。

 

5年以上勤めていても、他人のことなんて、よくわからない。そのよくわからない人たちに、自分のことなんて、なかなかさらけ出せないものだ。そんな中、唯一、比較的簡単に盛り上がれる話が、会社への不満だった。

 

つまらないことだけれど、人は、共通の想いが共有できると、安心できる。「ああ、みんな同じ想いだったんだなあ」と。

 

そうやって、次の日もまた、「共通の想い」を持ちながら、仲間意識を持ちながら、違和感なく、会社へ通えた。その「たが」を自分は、パートになるということで、外してしまったんだな。

 

いや、寂しいとは思っていない。むしろ、喜ばしいことだと思っている。もし、そういう、何かを憂さ晴らしするための、共通項でつながっていたとしたら、そっちのほうが寂しいってもんだ。

 

嫌なものは、ここらで、ちょっと、やめてみる。パートになり、仕事をセーブすることで、ちょっとでも、世界が変わるのなら(本当は、変わったようにみえるだけだけど)、それのほうがよっぽどいい。

空いた時間をいつもどおり、無駄づかいする

さて、変わった世界でなにをするか?別に、なんにもしない。いつも通り、ご飯食べて、寝て、気が向いたら、本読んで、テレビ見て、愛車を運転して、どっかに行く。

 

ヒマな時間で、ネットを見て、時間の無駄づかいをする。それでいい。心身の疲弊だけはさせない。それが、今の、自分の心地よい過ごし方だ。

 

最近は、遠出をあまりしていないんだけど、愛車に乗って、車を動かしている感覚がとっても好き。5分乗ってるだけでもいいのだ。これだけで、気分よくなれる。なので、贅沢品だが、車だけは手放したくないなあと思っている。

 

まあ、それも、今後、状況が変わったら、また、変えていかなくてはならないけれど。今は、この感覚がとってもいい。生きていれば、縁が切れていく人間もいるし、変わっていかなければならないものがある。

 

それを悲しむ必要なんてない。今、自分は生きている(正確には、生かされているかな?)。それだけが真実だし、それしかないのだから。

 

しかし、世の中、いろんな人がいるものだ。同僚の中で、こんなことを言う人がいた。「おまえさ、テキトーにやっていけよ、いなくなると、つまんねぇからよ。」

 

私のパート移行をずいぶん、悩んでの決断だと思ってくれたらしい。そういえば、この同僚には、自分が昔、引きこもり気味だったと伝えたことがある。

 

お言葉に感謝しつつ、「もっと、自由な時間が欲しくなっただけ。心配ない」と言っておいた。同情はいらないけれど、気にかけてくれる人がいると、やっぱり、人としては素直にうれしい。

 

会社でのアウェイ感を楽しみつつ、こういう奇特な人もいた、とほっこりする自分がいた。

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