「どうでもいい」の真実

自我から距離を置くために

このサイトでは、「どっちでもいい」「どうでもいい」「放っておく」ということを連呼して参りました。

 

なぜ、そんなことを言い続けてきたのか。それは、今まで、「自分の思うように、生きてやろう」という思いから、重ねてきた数々の失敗があったからでした。

 

スピリチュアルなんかでお馴染みの、自我、エゴと呼ばれる「これが自分だ」と思い続けているものから、ちょっと、距離を置いてみる。距離を置くための言葉として、「どうでもいい」「放っておく」を使ってきました。

 

距離を置いてみると、意外と、心がどんどん軽くなり、心の軽さから余裕がうまれ、なんとなく物事がスムーズに行くようになりました。

 

それは決して、次々と願いが叶うというものではありませんでしたが、時がゆっくりと流れ、ゆっくりと、物事が形成されていく感覚です。年月はかかっても、結局、思い通りになってたんだなあと、あとで、気付くことが多くなりました。

「探す」ことにこだわらない

生きるにあたって、昨今のブームかもしれませんが、「楽しいこと」「夢中になれること」を見つける、探すということに、人は注目しがちです。もちろん、それがあることは人生を豊かにしてくれます。

 

しかし、見つける、探すということが、いつの間にか、「見つけなくちゃいけない」「楽しいことを持っていなくちゃいけない」にすり替わってしまうことが多いのです。

 

楽しいことを持ってることは、幸せです。でも、「もたなくちゃいけない」は苦しくなります。楽しいこと、夢中になれることが見つからない場合は、見つけることにこだわらないことです。

 

こだわらないで、まず、意識が、軽くなる方向性をみつけましょう。その方向性とは、あなた自身が思うこと、言葉で知ることができます。

あなたは、何に意識が軽くなりますか?

私の場合、その言葉こそが「どうでもいい」「どっちでもいい」「放っておく」でありました。この言葉を思う時、感じる時、心身が軽くなるのを覚えます。

 

今まで、スピリチュアル、引き寄せの法則、教科書通りにやってきたのに、全然ダメでした。もう、いいじゃないか、もう、どっちでもいいじゃないか、なるようにしかならないが、なったものは、案外よかった。

 

そんなふうに思い始めたら、心の葛藤が少しずつ、少なくなり、願望にこだわらなくなり、穏やかな心境が増えてきた。今までダラダラ書いてきましたが、複雑そうに見える「法則」も、もっともな理論も、案外、こんなところかもしれません(笑)。

 

楽しいことをやっている人は、心が軽いです。「楽しいことをやっていること」に注目するのもいいですが、「心が軽い」ってところを観てもいいんじゃないでしょうか。

 

心が軽いから、楽しいことが自然と見つかったという視点に立てば、心の軽さから始めてもいいのですよ。

 

あなたは、どんな言葉で心が軽く感じるでしょうか?あるいは、どんな時に、心の軽さを感じますか?その軽さを感じたものこそが、あなたの真実かもしれません。

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