懐かしい自分に出会えた1日

自宅の定期点検があった

先日、自宅の定期点検がありました。早いもので、今の家に引っ越して来てからもう、2年が経とうとしています。主に、窓、ふすまや玄関扉のゆるみ調整、それに、床下と水回り施設の点検をしてくれました。

「とても丁寧に使っていただいていらっしゃるようで、大変驚きました。普通は、2年経つと、窓なんか、立て付けが緩んできて、結構、隙間が出て来てしまうものなんですけど…。」と業者の方がおっしゃいました。

まあ、うちは、子供もいないし、両親も高齢なので、あまり、どったんバッタン動き回らないですから。もっとも、扉をあまり、強く開け閉めすると、よく怒られたものです。

『ヤマト』で盛り上がる

そんな世間話をしていたら、ちょっと、頬を緩めて、その業者さん、

「あの、寝室のお部屋を点検させてもらった時に、ヤマトのプラモデルがあったのを拝見しました。私も、実は、ヤマトファンでして…。」とちょっと、興奮気味に、おっしゃる。

おお!まだ、お若そうなのに。皆さん、「宇宙戦艦ヤマト」っていう昭和のアニメがあったの、ご存知ですかねぇ。放射能に汚染された地球を救うために、たった一隻で遥かかなたのイスカンダル星へ行って、滅亡ギリギリに戻って来て人類を救うお話です。

昭和にありがちな、根性ものの雰囲気が漂いますが、私はどちらかというと、ヤマトそのもののカッコよさに惹かれたタイプです。第二次大戦で沈んだ戦艦大和が活躍していたら、こんな感じだったかなあって感じで。

嬉しそうに話す業者さんに、「あの、まだ、お若そうですけど、おいくつなんですか?」って伺ったら、「あ、私、33なんです。再放送の再放送世代なんです」っていうから、びっくり。

ヤマトの初回放送は1970年代前半で、私が生まれる前。私自身も再放送世代で育ちました。いや〜、自分より、ひと回りも下の方と同じテレビ番組のお話をできるとは思いませんでした。

「どこが好きなんですか?」って聞いたら、

「主題歌の二番に、『誰かがこれ(地球を救うこと)をやらねばならぬ、ってあるじゃないですか。私はあの歌詞が好きなんです。『そうだ、俺がやらねば、誰がやるんだ!』って、想いながら、大人になりました!」

って、胸を張っていらっしゃった。まるで、昔の自分を見ているようでしたよ。まっすぐに、素直に、育ったんだなあって(笑)。

あの頃の自分は、もう、いない

ただ、私は、確かにヤマトファンではあったのですが、今は、それほどでもないんです。そのお若い業者さんには申し訳ないんですが。なんていうか、物語の見方も変わってきていましてね。

ちょっと、嫌な言い方に聞こえるかもしれないですが、「『誰かがやらねばならぬ』って思ってくれているものは、そう思っている人に頑張って欲しい」っていうのが今の、私の素直な想いです。

なんていうかな、その想いを全員に押し付けちゃダメだよなあ、っていうね。ヤマトの成功の陰には、実に多くの犠牲が払われています。ヤマトを守るために、どれだけ多くの乗組員が亡くなっていったか。

確かに、そういう悲惨さを訴える場面は劇中にもあるんですが、果たして、その亡くなった人たちの想いに、本当にフォーカスできているのかなあ?って、よく感じるんですよ。

思想は変わっていくもの

ちょっと前に、太平洋戦争中に、特攻兵として9回も出撃しながら、戦果を上げつつ帰還してくる航空兵のノンフィクションを読んだことがあるんです。『不死身の特攻兵』っていう本です。

敗戦が濃厚になる戦争末期、「戦果を上げる」という目的が、いつの間にか、死ぬこと、それ自体にすり変わっていく。

これを読んでいると、現代社会の組織構造も、戦中の軍隊とそれほど、変わらないんじゃないかと思っちゃいました。

そして、「死んでこい!」という上官に対し、「無駄死にはしない」という信念を静かに貫く、主人公の若き航空兵にものすごく感銘を受けました。空気を読むことが当たり前の日本で、しかも、戦中に、こんな肝の据わった若者がいたのかって。

一つの目的に対して、全体で望んでいくっていうのは、みんながそれぞれ、同じ想いならいいと思っています。ヤマトは、きっと、全体で何かを成し遂げる素晴らしさを伝えたかったのでしょう。

しかし、不死身の特攻兵のように、組織と自分の方向が違った場合に、自分ができる範囲で、「自分はこっちを選ぶ」っていう選択は、嘘偽りなく生きられて、もっと心地が良さそうだと思いました。

そう、私は、だんだんと後者を選ぶようになった次第です。これは、やはり、自分の気質によるもので、どっちがいいというんじゃなくて、どっちが得意か、どっちが心地良さそうか、っていう話に落ち着いちゃうとは思うんですけど。

終わりに

いま、社会や組織に合わせようとして、無理してる人が多い時代なのかもしれません。ヤマトが放映されていた頃とは、世間や個人の環境もずいぶんと変わりました。社会や組織は、もしかしたら、自分とは違う方向に進んでいくかもしれない。

それなら、自分の考え方も、どんどん、変わっていけばいいと思う。節操がないと言われようとも。

そもそも、自分というのものが本当にあるのか、社会というものが本当にあるのか。今、そんなことを考えています。本当は、別に、そんなものはなくて、ただ、そういうものがあるように、思い込んでいるだけなのかもしれないって。

でも、ヤマトに夢中になったことは、とてもいい思い出です。単艦、頑張る姿は、どこか孤独になりがちだった子供の自分をずいぶんと励ましてくれました。

だから、このお若い業者さんにも、そのまま素直に生きていって欲しいなあって、他人事ながら、偉そうに思ってしまいました。ヤマト好きに悪い人はいませんよ(笑)。そして、何かを変えなきゃいけない時も、しっかりと、自分と向き合っていける人だと思いました。

とても良い人に、そして、懐かしい自分に出会えた、素敵な1日でした。

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