やることがないって、幸せなことじゃないの?

休日の過ごし方

今日まで3日間、連休でした。お彼岸から少し遅れたけど、祖父母のお墓参りに行ったり、父親が所有する車の車検に付き添ったり。あるいは、自転車で川沿いを爆走してみたりして、3日間をすごしてみました。

休みの日は、例外もあるけど、だいたい、午前中に外出して外の空気を吸い、午後は読書したり、母親の買い物で近所のスーパーに送迎したりして過ごしています。夜は、新聞読んだり、ネットサーフィンすることが多いですね。

コロナの前は、年に2回は旅行していましたが、コロナ禍の現在は、上に書いたような過ごし方をしています。行動は確かに、制限されているけど、特に、鬱憤がたまるとか、そういうことはなかったです。

私の場合は、旅行も好きなのですが、どちらかというとインドア派だと思っています。なので、雨の日なら、喜んでネットみたり、読書して時間を潰しますし、家にいることに苦痛は感じません。

一度に多くのことを、やるっていうのが得意じゃないんです(仕事なら、一気に片付けて、さっさと帰るんですけどね 笑)。することは、最小限にして、ゆっくりボーっとしていたいタイプ。

まあ、だからこそ、せわしない正社員から週4のパートを選んだりしたんですけれど。「週に3日も休んで、やることあんの?」って、何度、同僚に聞かれたか、わかりません。

気持ちはわかります。「やることがない」っていうのが、苦痛な人には、安定した正社員の地位を捨てる意味がわからないかもしれない(もっとも、私の場合は、「これじゃ、働けば、働くほど心身すり減らして、働き損だなと思って、パートになった部分も大いにありますが)。

やることがない今をもっと味わおう!

でも、やることがないって、こんなにありがたいことなんだなって、思えるなら、こんな楽な地位もないかな。「もうちょっとしたら、週3日にできないかなあ?」なんて、考えてるぐらいなので。

今日、とある局のラジオを聞いていて、「時間がたくさんあるけど、何もやる気が起きなくて、何もやることがない。辛い」っていう投稿が寄せられていました。私もちょっと前までは、そんな気持ちになったことがあるので、理解はできます。

でも、これって、なんというか、現代人らしい悩みだなあって、思いましたよ。「何かをやってる、やり続けていることが偉い、すごい、貴重だ」なんて思い込まされてきた結果が、こんな悩みになるんじゃないの?って。

この時の、ラジオパーソナリティーの方の回答はよかったです。「やる気が起きない時は、そのままゆっくりされてくださいよ。やらなきゃいけない時なんて、みんな、人それぞれ、違うんだから。もしかしたら、死ぬちょっと前に、忙しくなることだって、あるかもしれないんだからね、その時まで力、取っておいてください。」

私も同感です。人間、力を発揮する時って、みんな違う。歴史上の人物だけを見ていても、そんな人、いっぱいいます。やることがない今を、もっと味わっていいと思う。今、それで生きていられるのだから。

今まで悩んできた、真面目なあなたは、やることがないことが、いかに、幸せなことか、ちょっと、視点を変えて、考えてみてもいいと思う。やることあったら、もう、勝手にやってるから。

私は、なんとなく、何もしないで過ぎていく今が好きです。なので、「もっと稼いだら…。」っていう、上司の嫌味には目もくれず、今日も非生産的に過ごすのです。

私だってね、やらなきゃいけない時がくれば、やりますとも…多分(小声です…)。でも、今は、なさそうなので、こうやって、徒然なるままに、ブログをつづりながら、今日も1日、終わるわけです。

ああそうだ、明日は仕事です。今の私は、ヘタレなので、3日ぐらい休んだら、「そろそろ働かないとヤベェかな?」なんて、思ってしまいます。まだまだ、無職にはなれそうもないみたい。

まあ、ゆっくり、ゆっくり、やっていきますよ。いずれ、働かなくて済む日も、まあ、来るかもしれませんから。それまでは、サボりながら、テキトーに働いていくことにします。

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