今年も流れていきます
今年も嫌なことは限界までやらない
おはようございます。皆さま、どんな新年の朝をお迎えでしょうか?私は、ちょっと、夜更かししてしまって、寝ぼけまなこ状態。でも、まあ、穏やかな朝を迎えられています。
もう、40数回目のお正月。目標とか、「これやるぞ!」っていう気概は、ほとんどないんですけれども(!)、ただ、「嫌なことは、溜めていかない」っていうのは、毎年、決めています。
仕事に限らず、人との関係でも、「これ以上、ここにいちゃいけない」「これ以上、この人に関わっちゃいけない」そういう、嫌なことに対するセンサーは、磨いておきたいと思うのです。
まあ、磨くっていうより、嫌なことは、限界までやらないってことですね。逃げる、できるなら助けてもらう。いつでも、柔軟な選択肢があることを知っておく。そして、タイミングを見計らって、行使する。いつでも、そんなスタンスでいます。
大きな流れとともに進んでいく
そして、もう一つ、自分が思ったり、感じたりすることとは別に、人間には操作ができない、ある大きな「意志」みたいなものがあると、個人的には感じているんですよ。
まあ、スピリチュアル的にいうと、宇宙意志とか、大いなる意志とかっていう言葉で表現されるのでしょうか。要するに、自分とは、無関係に進んいく、大きな流れがあるっていうこと。
できるだけ、この大きな流れを尊重したい。生まれることや、死んでいくことは、やはり、その大きな流れであると思うし、今いる場所、会う人であっても、やはり、その流れだと思うのです。
そして、逆らえるものなら、とことん、逆らっていいと思う。でも、きっと、逆らえないものがある。その時に、人は、どう生きていくのか?この「逆らえない部分」に、自分なりの答えを見つけられるのか。今後の人生の、質というか、充実度を決めていく上で、これこそが、人間にとっての、大きな鍵になるのだと思っています。
私にとって、この質、充実度は、何かをわき目もふらずにやるっていうことよりも、心が穏やかであること、その1点に絞られるようです。
2022年はもちろん、いい年であって欲しいと思っています。でも、そうでなくても、しっかりと、泣きながら、悲しみながら、生きていきます。そうやって、流れというものと一体になれたらなあ、なんて、今朝、目覚めて、感じました。
昨年、親類の葬儀に出席したお話をしましたので、一応、この場では、新年のご挨拶は控えさせていただこうと思っています。でも、皆さんにおかれましては、良いお年でありますように。
相変わらず、今年も、投稿数は少ないと思いますが、のんびり、テキトーに、続けていこうと思っております。今年もよろしくお願いいたします。