人も人生もそんなに変われない
人間はそんなに変われない
これは、落ち着いた今の生活だから言えることではあるのだけれど、人間ってそんなに変われるものじゃないですね。変わったように見えて、実は、元々の自分に、少しずつ戻っているだけ、それだけだったのです。
この記事でも書いたけど、生まれた時の環境で、その人のだいたいの大枠的な生き方って決まっていると、私は思っています。なので、「人生変わった!」「変わらなかった・・・」と一喜一憂するのは、表面的なものしか見ていないのです。
変わったのは、確かに、あなたのたゆまぬ努力があったかもしれないし、あなたのその、温厚で優しい性格が、素晴らしい人々を引き寄せたのかもしれません。
でも、一つのことを続けられる力というのは、おそらく元々あなたが持っていた力だろうし、優しい性格は、あなたの生まれ育った環境によるものでしょう。
あなたには、すでに、変える力と元々の気質が備わっていて、たまたま、時代と流行にマッチし、タイミングがあっただけだったのかもしれません。
変わらないなら居場所と方向性をずらしてみる
逆に言うと、「変わらない」って嘆くのも勝手だけど、別に嘆く必要なんか、ないんですよ。
仮に、あなたにやりたいことがあって、それが今、できていないとします。あなたは面白くないかもしれない。でも、ちょっと、方向性をずらしてあげたり、自分の居場所を(楽な方に)移動させてあげるだけで、物事が動き出すってことは、よくあることです。楽な方にってのが、肝!
私の例で言えば、自営で成功しようと思ったけど、バスの運転という方向に(たまたまではあったけど)シフトしたら、話せる人もできたし、それなりに貯金もできた。思いもかけず、新しい家に引っ越しもできたって感じです。
だから、先日の記事でも書いたけど、雇用されるのを「社畜」って決めつけないで、逆に、その組織を利用してやる気概で、無理しない働き方を決めておく。
そうすれば、割と楽な生き方に変換できることもあるんじゃないかなあ、と個人的には思うわけです。まあ、この辺は、自分で試していくしかない。もちろん、自分がそこでやっていけるのかどうかの見極めは必要だし、合わなければ、合うまで環境を変えるっていう手段も持っておいた方がいいです。
一応、断っておきますけど、その自分の変化が良かったのか、どうかは知りません。今は満足してますけど。
今の会社が今後、続くかどうかなんてわかりませんし、家を買うために借りたローンも、今後払えなくなるかもしれない(一応、会社が潰れて、他のアルバイトに変わっても払える額にはしておいてありますが)。
まあ、その時は、もちろん、策を練らなくちゃならないけど、それは、それで、やっていける根拠のない(!)自信はあります。っていうか、やっていかなくちゃいけないですね。
ここまで生きてこられたのは、あなたの変わらないその気質
私には、自分で思ってるほどの能力は全くなかった。プライドばかり高くて、会社で上司をやり込める口先げんかはなんとか負けないけど、結局のところ、そんなの、子供が駄々をこねてるのと一緒。
そんなんで、よく、ここまで生きてこられたなあって恥ずかしくなることがたまに、あります(笑)。
そして、ここまでよく生きてこられたのは、小さい頃に、今の両親のもとに生まれたおかげによって形作られた環境かもしれないのです。持って生まれたものも、持って生まれなかったものも、すべて、今という絶対的なベストの自分につながっている。
そう考えたら、スピリチュアルでよく言われる「感謝」っていうのも、うなずけるようになるし、自然にわき起こってくるものです(「感謝しよう」なんて、無理に思わなくてもね)。スピにハマったのも、悪くはなかったのですよ。
話をもとに戻すと、「人生、変わらない」って悩んでいる人は、自分の気質、性格を変えようとしている場合が多いと思います。自分の気質なんて、変わるわけないんですよ。カエルの子はカエル。
だから、自分の気質に合う環境に移動すればいいんです。どうしても、その居場所が見つからなかったって人が、たぶん、その環境を創れる人です。ネットとかで、成功してる人には、たぶん、そんな人が多いですね。
自分で造れないからって、悩む必要はないですよ。造れないなら、たぶん、あなたの気質にあった環境があるはずです。動く気になれないない、できないと思うなら、まだ、タイミングがあっていないのかもしれないし、しばらく、その場でゆっくりすることが必要なのでしょう。
人生とは、流動的です。今は、そのタイミングではなかったけれど、後になって、「わりと、うまい具合に、生きられるようになった」って思えることはいくらでも出てきます。
だからこそ、今の、そのタイミングの悪さと、力のなさを嘆くのはもったいないのです。「周りの環境が、私に合わせろ!」そんな気持ちで生きていくのです。
やりたいことやってる時の幸福感とやりたくないことを避ける幸福感はたいして変わらない
ちなみに、余談ですが、私は、今日のこの文章を、会社を休み、暇になった時間で書いています。朝起きたとき、今日は、気分が乗らなくて、「すみません、調子が悪いので…」と電話一本してね。
とても有意義な時間を過ごせてますよ。読書に、このブログ書きに。「〜したい」「〜したくない」っていう直感とか、気分ってやっぱり、大事なんです。
身体は、何をしたいか、わかってるんですね。だから、私は、「会社のために、みんなに迷惑がかかるから…」っていう自身のささやきは、無視しています。
やりたくない時は、やらない。これを徹底していけば、表面的に仕事は何してるとか、やりたいことを持ってるかなんて、どうでも良いことなんです。
そのうち、「やってもいいかな」が続いていけば、やがて、それがやりたいことにつながるかもしれません。
これは、みんな、あまり気がついていないと思うけど、「やりたいことをやってる幸福感」と「やりたくないことを避けてできる幸福感」って実は、たいして変わらないんですよ。
だって、だいたい、その時間が過ぎたら、人間の気持ちって、また、同じようにコロコロ変わっちゃうものなんで。そもそも、いい加減なんです、人間は。
だから、感じようと思えば、どちらからでも、幸せを感じられます。やりたくなことをやらないっていうのは、身近なところからできるので、こっちの方が、断然、手っ取り早い。
人間の幸福感っていう漠然的なものは、語弊があるけれど、たぶん、そんなもんです。身近にあるけど、なんだか遠くあるように見えてしまう、寝ぼけ状態。寝ぼけが解消されれば、きっと、「な〜んだ」と思えるはずです。
まあ、そんなこんなで、今日も、無事に、テキトーに、できたら、楽しくやっていきましょうね。