生まれ持ったものですべての選択は決まっている

すべては結果オーライ

私たちは、なぜだか、わからないけれど、生まれてきてしまいました。なので、とりあえずは、生きていくよりほか、ありません。楽しく生きるにしろ、悲観的にいきるにしろ、仕方なく生きるにしろ、生きて行くことに意味があると思うのです。

 

楽しく生きたい、と思うと、いろいろ悩みが深くなって、願望実現とか、スピリチュアルとかに頼りたくなります。生まれてきたことの意味とか、生きる目的とかも、知っていれば、生きやすくなるだろうとか、全部思い通りにできれば、楽しく生きられるだろうとか、考えちゃうんですね。

 

しかし、今、振り返ってみると、生きることの意味や目的をしらなくても、それなりに楽しく生きることは可能です。思い通りにならないものは、ならないまま放っておいても、たいしたことなくて、どうでもよくなったり、別のものが手元に来たりして、終わってしまいます。

 

思い通りにできたときは、たしかに、その時は気持ち良いのですが、時が経つと、そんな喜びもすぐに忘れてしまいます。あとで思い返すと、「本当は、どっちでもよかった」なんて思えること、ありませんか?特に、最初に願ったこととは別のものが叶った時なんて、結果オーライにできる私たちです。初めの願いなんか、まさに、どっちでもよかったのです。

人生で選択するものは気質、性格、環境でだいたい決まってしまう

これは、ちょうど、車選びに近いような感じがします。車が必要だと思ったら、とりあえず、買わなくてはなりません。一応、用途や目的に応じて、選んでいきます。普通乗用車を例にあげるなら、セダンがいいのか、ハッチバックか、ワンボックスか。

 

排気量はどれぐらいで、どんな姿形がいいのか、予算はいかほどか・・・。で、いろんなこと考えながら決めるんだけれど、自分の好みとか、性格とかで、ある程度、購入する候補って決まっちゃうんですよね。

 

最終的に、だいたい、1〜2つぐらいに絞って、あとは実際に試乗して決める。車の購入ってこんな感じかなと思うんです。世の中には本当にたくさんの車があるけれど、今の自分の性格、用途、好み、環境(たとえば、予算とか、地方在住か、都心に住んでいるかなど)で、だいたい、選ぶ車って決まってしまうものです。つまり、買う前から、乗る車が決まってしまっているとも言えるのです。

 

私たちの人生選択もそうですよね。日々の生活の中で、自分の好み、性格、環境、気質というものを照らし合わせながら、要所要所で必要なものを選んでいきます。仕事なんか、そうじゃないですか。「これが合いそう」とか、「これをやってみよう」「これに挑戦したい」とか、思いついたり、探したりして選んでいますが、選ぶものってだいたい決まってしまうのです。

生まれたときの性格と気質で選ぶものが決まっている

偶然巡りあったものでさえも、「できるかも」「やりたい」「仕方ないからやる」など、とにかく、今の自分というものと照らし合わせて決まります。選んで行くというよりも、やっぱり、はじめから、選ぶものが決まっちゃう。

 

なぜなら、生まれ持った性格とか、気質とかが必ず関わってくるからです。そして、この性格やら気質、好みというものは、生まれた時の環境(両親の性格、こどもの頃の教育環境、生活環境、自然環境)でだいたい決まってしまうものです。自分で選ぶことはできません。

 

ということは、その自分が選択するものも、ほぼ決まってしまう。車にしろ、職業、住む場所や結婚相手とかも。スピリチュアルなんかでは、よく、「起きることは初めから決まっている」なんていう表現がありますが、性格・気質というものから考えた場合、これは案外、当たっているのではないかと思います。

 

「性格は変わる、環境は変えられる」っていう意見もあって、たしかに、変わる人もいると思うんです。でも、それだって、はじめにあった元の性格があってこその変化です。その元の性格がなかったら、変えようとは思わないわけでしょ?

 

つまり、生まれたときの環境でつくられた性格・気質のなかに、変えられる要素がはじめから整えられていたとも言えるのです。まあ、環境を変えられる人は、別に悩まないでしょうから、どんどん変えていってたのしく暮らそうで終わりですね。

生まれ持ったものを変えようとしなくなった時、悩まなくなる

問題は、「こんな環境は望んでいない」と嘆いて、変えようとして来たけれど、全然変わらない、もどかしいっていう人(私もその一人だった)です。そういう人は、一旦、変えようとするのをやめましょう。自分が望む人生というものは、あるでしょうが、変わらないなら、そういう人生は本当は望んでいないのかもしれないのです。

 

そんな時は、よく言われることではありますが、「流れにまかせる」のがいいと思います。とりあえず、願望とかは放っておいて、起きてくることに任せてみるのです。任せるというと、「すべて、涙をのんで受け入れなければならない」と思いがちですが、むしろ、逆。

 

ここでは、自分の性格と気質、好き嫌いをしっかり認めましょうということです。生まれ持ったもの(性格・気質とか)を大事にするのです。つまり、極端に言うと、好きか嫌いかで判断して、できるだけ、自分の性格にあったものを選びとっていくのです。

 

それが受け入れるということです。前の記事でもとりあげましたが、仕事のしかたひとつとってみても、自分の性格に合わせていくのです。性格を無理して変えて、仕事をコン詰めてやるとか、器以上のことを引き受けるとか、そういうことはなしです。

 

楽に生きたければ、さぼることもありだということを、しっかりと認めていく。それが己を受け入れるということです。

 

こんな「受け入れる」なら、すぐにできるでしょ?やりかたとか、習いに行く必要ないです。まずは、嫌いなことはできるだけ、やらない(はじめから、すべて嫌なことをやらないというのは難しいと思うので、できる限り)。

 

すると、自分の性格に合っているので、だんだんと、葛藤もなくなって、穏やかな気持ちになれることが増えていきます。そうなったら、願いのひとつやふたつ叶わなくてもどうでもよいと思えるかもしれないし、悩みも少なくなっていくでしょう(本当は、悩みがなくなるんじゃなくて、悩んでいることに悩まないが正解かも)。

願いが叶っても叶わなくても、どっちでもいいと思えることがゴール

スピリチュアルとかに興味をもっちゃう、私のように性格のよい人(!)は、願いが叶わんでもいいよって本気で思えることが、ゴールででしょう、たぶん。要は、自分が望んでいた願望と、流れにまかせて起きる現象との間に起きる葛藤がなくなれば、十分なのです。

 

その後は、思い通りにできることは、できるようにすればいいし、できないものは、できないで放っておく。そのうち、自然に叶うかもしれないし、叶わないこともあるでしょう。でも、葛藤がないので、結局、どっちでもよいのです。そんな感じで、たまには、気に入らないこともあるでしょうけれど、うまいこと、生きていけるのではないでしょうか。

 

くりかえしになりますが、人生、思い通りにしようと考えるより、選ぶもの(起きること)は決まっているので、どうせ、決まっているのなら、性格的なもの、好きか嫌いかを大事にすることです。これだけ頭の隅に置いておけば、生きる目的なんか必要ないです。

 

まったくの個人的な意見ですが(いつもそうですが)、生きる目的というのは、生まれ持った性格・気質のなかに、はじめから含まれていると思うんですよ。そのうちに、それらしいものはぼんやりと、つかめてくるでしょう。それで十分です。

 

あんまり深く掘り下げようとすると、かえって面倒くさくなっちゃいます。起きることがはじめから決まっているのか、どうかは実際のところ、わかりません。でも、正直にいうと、そういうものも、どっちでもいい。そんな考え方をした方が、よりスムーズに、楽に生きられる、というだけの話です。

生きていれば変化が起こる

さっきの車の話の続きですが、とりあえず、自分の好みに合わせた車を購入しているはずなのに、乗り続けていくと、いろいろ出てくるんですよ。「もうちょっとパワーがあったらいいのに」とか「ここの内装部分、なんとかなんないかなあ」とかね。自分で選んだものなので、いいところもたくさんあるのですが、大概、欠点が気になるもの。

 

でも、「走る」ということができていれば、車本来の目的は達成しています(正確には、走る、曲がる、止まる、でしょうか)。乗っていて、楽しい、楽しくないはあるにしても、走ってさえいれば、そのうち、いろんな事情ができて買い換えることができるかもしれません(古くなったとか、故障したとか、環境が変わったとかで)。

 

つまり、ここでも、生きるのと一緒、走ることが大事なのです。走らなければ、起きてくるであろう変化も出てこれませんので。だから、欠点も、そのうち車ごと変わるかもしれないと思って、あんまり、真剣に悩まないで、走らせていればよいのです。

 

最近、車を変えたいなあって思っていたところだったので、こんな話になりました。でも、今の車、まだ買って3年しか経っていません。こんな私の欠点は、飽きっぽいところです。車のオーナーに問題があって、車に非はありません、たぶん。生涯、なくならい短所でしょうが、それはそれで、しっかり受け入れていきます。

 

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