放っておくとは、感情を感じないようにすることじゃない
「放っておく」の誤解
このブログでは、散々、思考も感情も放っておけば、人生楽になるなんて言ってきました。ただ、「放っておく」の意味について、ちょっと、誤解されてるかなと思ったので、記事にしてみました。
例えば、怒りの感情が湧いてきたとします。怒りをそのまま、現象として実現させると不都合ですよね。やった、やられた、の仕返し合戦がはじまるかもしれません。
でも、怒りを実行に移さないで、放っておいて、お茶でも飲んでれば、そのうち、その怒りは流れちゃいます。ただし、ここで、問題があります。
この「怒りが流れる」っていうのを、(感じると不快なので)怒りを感じないようにして、なかったことにしよう、つまりは、感情をどこか、遠いところに追いやってしまって、忘れてしまおうって捉えること。
これを「放っておくことだ」と思ってる方が多いのかな、とかんじました。
感情を感じる自分自身をそのままにしておく
これは、誤解です。感情って、忘れたフリはできないんですね。なんかのタイミングで、振り返すことが多いです。
ここでいう放っておくとは、この真逆。つまり、怒りをしっかり感じて、その怒りを感じてる自分自身、「あの野郎、◯ね!」とか「ぶっ◯してやる!」と感じてる自分自身をそのままにしておく、放っておこうってことなんです。
ネガティブな感情を感じるって、たぶん、とっても嫌だ、あるいは、怖いことかもしれません。自分の惨めな部分とか、人に見せたくない部分とか、どうしても向き合わなわくちゃいけないからです。
感情を感じる自分自身に許可を出そう
でも、ここを感じ切っておかないと、次へ進めません。自分の嫌なところ、「ネガティブな感情を感じてもいいんだ」と自分に許可して始めて、周囲に起きることに、自分自身に「これでいいんだ」と肯定できるようになります。
大丈夫です。嫌な部分を感じても、大したことにはならないし、どうってことないです。むしろ、感じ切ることで、戦ってきたなにかが終焉に向かいます。
放っておくとは、感情を感じないようにどこかへ追いやることではなく、感じる自分自身に許可を出すことなのです。