世界=自分も放ってしまえ!

嫌がらせを受けているときに世界=自分はきつい

私はたびたび、このブログでも引き合いに出しておりますが、隣人に嫌がらせ行為をされたことがあります。嫌がらせが始まってから、始めの2年間は精神的に、めちゃくちゃきつかったです。なにしろ、近隣住民みんなが敵という状態でしたから(正確には、そのように思い込んでいたのですが)。

 

家族の支えとスピリチュアル的な教えなんかをかじりながら、なんとか、精神的な正常を保つのが精一杯でした。現在は、ほぼ、その嫌がらせもなくなり、挨拶を交わすまでに戻った方もいて、正常に、穏やかに暮らしています。

 

そんな今の状態から、その当時のことを振り返ってみると、明らかに、自分自身の内面の状態がそのまま、周囲に反映されていたと言えます。例えば、「家から出れば、いつも、誰かに監視されている」「物音をたてられる」と思いこんでいるので、ほぼ毎日、そんな状態が続きました。

 

しかし、やられている当人に、「自分の内面の状態が周囲に反映されているんだよ」というのは、けっこう、きついですね。つまりは、自分が悪い、という捉え方になってしまうので。スピリチュアルとかに傾倒してしまうと余計、そういう教えから外れることに罪悪感を感じてしまうことでしょう。

 

余談ですが、そもそも、あらゆる教えとは、当人にとって、「よりよく生きるための方便」です。大事なのは、あなたがよりよく生きることです。それから外れることによって罪悪感を持ったり、縛られるのであれば、捨ててしまってよいのですよ。最終的に、自分は自分にしかなれません。教えは正しさを押し付けるものではなく、あなたらしさを取り戻すための方便であり、最後には、手放さなければならないものです。

 

原因と結果から解放されるために、放っておこう

で、話をもとに戻します。「自分が悪い」「自分の内面が悪いんだから、内面をよくするために、もっと研鑽しなきゃ」とか、そういう風に考えることによって自分がよくなっているなら、それでもいいです。でも、たぶん、つらいと思います。私がそうでしたので。

 

そんなときは、あまり、深く考えないで、すべて、内面とか、外の状況とか、放っておけばよいのです。実際、なぜ、あなたがそういう目にあったのかなんて、本当のところはよくわからないのです。おそらく、そういう原因があり、結果があったことでしょう。

 

でも、原因と結果を考えたからこそ、そういう原因と結果を受け入れてしまった自分がいて、外の状況を見て、「ああ、やっぱり、この原因とあの結果のせいなのだ」って思い込んでいる自分というのを創っているだけなのです。

 

その思い込みから、解放されるためにも、「あれのせいで・・・この自分がダメで・・・」なんていう、つぶやきとか頭の声を放っておきましょう。あなたを批判する声は、絶えず、言い続けることでしょう。「こんな自分がダメなんだ」と。

 

しかし、ほんの一瞬でも、その声を放っておくことができたのなら、あなたを批判したり、「あれをやれ、これをやれ」とつぶやく声は、あなたではないのです。だって、放っておけるのですから。その声に反応しないでいられる、ということは、あなたは、その声の主ではありません。

 

だから、ただ、言わせておいて、聞き流していれば、そのうち、あなたの関心事も、別のものに移っていきます。そう、諸行は無常なのです。

 

嫌がらせというものも、この自分を批判する声(「エゴ」なんて呼ばれますが)と一緒なんですよね。あなたがどんなに完璧に物事を成し遂げても、揚げ足をとり、重箱の隅をつつき、あなたを貶めます。そういう役割なのです。そういうものなのであって、あなたに非があろうが、なかろうが、関係ないのです。だから、それが起きたことを、一々、精査する必要はありません。悔やむ必要もないのです。ただ、起きただけ。

 

世界=自分とは、ただ、目の前の世界を心地よく受けいれただけのこと

そんなことに気づいてくると、やがて、世界は変わりはじめます。現象を放ったことで、あなたはその原因と結果に関わらなくなったからです。これは、嫌なことだ、悪いことだ、あってはならない、どうしてだ?、なぜ、こんなことになったのだ・・・?

 

別に、答えなんか、探さなくてよいのです。探したって、ないです。放って、放って、放り続けてみてください。やがて、「このままでいい自分」に気づくでしょう。何者にもなる必要がなく、なにを得る必要もないこのままの自分に。そして、それは、なぜか知らないけれど、とても心地のよい感覚です。なにかを得たときに感じる、一時のうれしさとは違うものです。感じようと思えば、いつでも感じられるもの。

 

そして、いつのまにか、あなた自身も変わっています。正確には、ずっと、変わりつづけているのだけれど、変わっていることに、ようやく気づき始めるのです。私の嫌がらせが減っていったのも、そんな感じでした。

 

世界=自分。これは、今は、たしかに、その通りだと思います。自分の内面の落ち着きに伴って、周囲の現象も穏やかに、(とても落ち着いた)楽しいものになっていきました。でも、正直言って、世界=自分って、そんな劇的なものじゃありません。っていうか、この言葉があっているのかどうかもあやしい。今、目の前の世界を心地よく、肯定的に受け入れられるってだけのこと。魔法でも、なんでもないです。

 

でも、副産物的に、物事の見方が変わって楽に生きられるようになったり、以前より物事がスムーズに運んだり、そういうこと(認識)は増えてきます。

 

いろいろごちゃごちゃ書いてますが、あまり、教えとか、世界=自分とか、縛られないで、放ってみましょう。すると、嫌がらせとかも減って、おまけに、「ああ、やっぱり、内面の状態が外に反映されてるだけなんだ」って気づけて、一石二鳥だったっていう体験談でした(?)

 

いつもながら、なんか、まとまってませんねぇ。それも、自分なので、まあ、OKですね(違うかな?)

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