改めて、思い通りに生きるとはなんぞや?
20年以上も前に望んでいた働きかた
最近、思い出したことがある。「そういえば、『働くのは、週4日ぐらいで、ちょうどいいなあ』って言ったことがあった」と。
あれは、いつだったかなあ。家族で食事をしていた時、なんかの弾みで、仕事の話になって、そのついでに、ポツリと、自分が発した言葉だった。
以前、コピー機なんかに使う、「トナー」を配る配達業をしていた頃かもしれない。もう、20年ぐらい前のお話だ。当時は都内でお仕事していて、注文のあった品物を企業に1件、1件、お届けしていた。
まだまだ、今より断然、体力も気力もあったので、ほとんど若さと勢いだけで乗り切っていたけれど、やっぱ、キツかった。朝は早いし、路駐なんかしていると、すぐに、警察が来ちゃうし、道は混んでるし…で、ストレスフルな仕事だった。
そういう状況の中で、もうちょっと、楽な仕事はないかなあ、と思っていたのだと思う。そうしたら、父親に「お前なあ、そんなんじゃあ、生活できないじゃねえか。」と怒られましたけどね。
でもね、その時の言葉を思い出したときに、「あれ?」って思ったんですよ。「あれぇ、20年前に望んでいたことが、今、起きてるじゃないか」と。
週4日、なんだかんだあるけど、テキトーにやって、父親の意に反して、生活できてるじゃないか。そういえば、剣術との出会いもこんな感じだった。案外、昔、望んでいたことを精査してみると、ピッタリではなくても、似たような状況になってることって多いかもしれない。
「実現」とはただ気づくだけだ
そこで、ちょっと、考えてみたのだ。夢の実現とか、思い通りになるっていうのは、実は、自分が何かをして、実現を取り寄せるのではなく、「すでに、そうなっている、あるいは、なっていたんだ」ってことに、ただ、気づくだけなんじゃないか、と。
あんまり、◯◯でこうしたら、こうなった、っていうのは、関係ないというか、どっちでもいいんじゃないかなあって思うんだ。
もし、◯◯のおかげで実現したとしたら、それは、多分、そういう視点から観ているからで、自分で「確かに、◯◯のおかげだ」って認識しただけなんだよね。もちろん、それは、それで、いいのだけれど。
ここで言いたいのは、今の自分の人生、本当に思い通りになっていないのか、ちょっと、振り返ってみようぜ!ってこと。昔、思っていたことが、実現してることって、多いんじゃないかな。
で、ちょっと、ここで気をつけなくちゃいけないことがある。それは、「いや、◯◯が(まだ)実現していない」っていう気持ちをちょっと、鎮めてほしい。まあ、気持ちはわかるんだけど、ここでは、「時間はかかってるけど、意外と、自分らしい道のりを歩んでいないか」ってことに焦点を当ててみてほしいんだ。
要は、「なんだ、実現してるじゃないか」っていうのをたくさん見つけてほしい。そうすると、周囲は「実現だらけ」になる。今、思ってることだって、後に、実現しているかもしれない。気持ちが、だんだん、穏やかになっていくよ。
え?穏やかになるのは、もう、十分だって?そう言われちゃうと、もう、お話することはないんだけれど、でもね、個人的に思うのは、まず、穏やかに過ごしていくことが、なにより、大事。
特に、今まで、なんか色々やってきて、もう、疲れちゃった人には。だって、穏やかになることでしか、正気を取り戻せないし、自分が何をやってきたか、何をやりたいのか、っていう冷静な考えにはたどり着けないものだから。
穏やかになったとき、自分らしい人生を歩んでいることに気づけるし、これから、どう過ごしていきたいのかを冷静にみつめられる。そして、冷静に見つめられたものは、特に、何をしようとする必要もなく、勝手になっている。
思い通りに生きるとは、たぶん、そんなところなんじゃないかなあ。