理想と現実が一致していく幸福論

今日も土手を爆走してきた

仕事が休みだったので、今日も、自転車にまたがって、土手を爆走してきた。気持ち良い、晴れの天気だったけれど、まだまだ、北風が強い。

 

土手を南に向かって走る、追い風は楽チンだけど、帰り道の向かい風はけっこうキツくて、冬のサイクリングは毎回、いい運動になっている。まあ、座ってばかりの仕事なので、たまには足腰も鍛えないと。

 

心地よく土手を走っていると、いろんな考えが浮かんで来る。今日は、特にスピリチュアル、自己啓発的なものをやる意味というものを考えていた。

幸せになるために始めたのに…

みんな幸せになりたくて、そういうものに手を出すんだよね。もちろん、自分もそうだった。「自分を幸せにするものは何か?」の答えを見つけようと思って、深く、深く掘り下げようとしていくんだ。

 

それは、多くのお金を得る方法であったりするかもしれないし、自らの生きがいや天命、あるいは永遠の命的なものを知ることであるかもしれない。ところが、深く掘り下げれば、掘り下げるほど、壁にぶつかることが増えてくる。

 

幸せになろうとしているのに、いわゆる「教え」の通りにはいかず、感情はたかぶり、「この方法でいいのだろうか?」「時間を無駄にしていないか?」「ちっとも、人生、変わったように見えない」などの、どうしようもない焦りや、今まで注ぎ込んできた時間とお金に思いを馳せたりしてしまう。

 

特にきついのは、現実世界と思い描く理想との間に、学べば学ぶほど、溝が広がっていくという虚無感と疲労感を感じることだ。掘り下げれば掘り下げるほど、現実がくだらない、というより、もはや、そこに居場所はないと思いこんでしまう自分がいたりする。

 

現実は、確かに、自分が思い込むほど、大したものではない。けれども、それが絶望によるアイディアからきてしまうと、これは、また、違った意味になる。日々、幸せになるために、やってきたことなのに、絶望にたどり着いてしまうとしたら、こんな悲喜劇はない。

投げ出すって気持ちいい

で、私自身は、「これは、何か、おかしい」と思いはじめた。もちろん、いっぺんにではないけれど。徐々に、徐々に。幸せになるために、やってきたんだから、幸せがゴールじゃないとおかしい。「教え」をやって、悶々しているって、絶対におかしいじゃないか?と。

 

ま、今、ちょっと、劇的に描いてるけど、要はですね、「思い通りにならないのに、やっている意味って、あるの?」って話ですね(笑)。自分のやり方が悪いっていうのは、確かにあるかもしれないけれど、散々いろんなことやってきちゃった後なので、もう飽きちゃったし、面倒臭くなっちゃった。

 

もういいよ…。今、はっきりしてるのは、これをやめれば、私は楽になるし、多分、すごい気持ちいいはず。なら、今、それを取るべきだ!

 

いままで、買ってきたスピリチュアル本やら、自己啓発本やら、すべてブックオフ行きですよ。気持ちよかったです。あの時ほど、すっきりした気持ちって、ここ数年は、ちょっと、なかったとおもう、ホントに。

 

で、気づいた。「投げ出す」って、やっぱ気持ちいいんだなあ、って。

幸福を増やすより「嫌いなことをしない」のほうが簡単

あれから、もう、5年ぐらい経ったのかな?今、確信に変わってる想いが一つある。

 

それは、別に、何か、幸せを見つけたり、増やしたりしようとするよりも、とりあえず、「嫌いなことをしない」をまず、第一義にして、それを少しずつでもいいから、実行していくほうが、よほど簡単で、しかも現実的に幸福になれるということ。

 

この想いを、正社員からパートになった今、改めて、強く感じている。自分が楽にこなせるだけの量で、仕事ができるようになった時、自身の生活に対する満足度は明らかに増したから。

 

今やっていることが、天命か天職かなんかは分からないし、もはや、知らなくていい。無理なく、穏やかに、暮らせているから。この感覚こそ、まさに、スピリチュアルをやり始めた頃から、望んできたものだ。求めていた天命は、実は、必要なかったのだ。

 

この辺に、葛藤する人って、いるのもわかる。それは、「ただの妥協じゃないか?」と。

 

妥協とは、多分、やりたいことがあるのに、諦めて、「仕方なく、今の状態に落ち着いた。思い込んで、落ち着くことを選んだ」っていうことだとおもう。

 

もし、それがどうしてもやりたいことなら、妥協だなんて思うことはないはずだ。妥協なんかする暇はなく、その目標に、自然に向かっていくはずだから。誰かに尻を叩かれる必要はないし、モチベーションを上げるための「努力」だっていらないのだ。

 

しかし、もし、「葛藤」があるのなら、もっと、自分の本音を探ってみていい。その望みは、本当に自分に必要なのか、自分にとって、無理のない、自然なものなのか?と。

 

日々、生活する中で、ことあるごとに思索してみよう。そして、早急にではなく、時間をかけて、少しずつ答えの断片をつなげていけばいいと思う。

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