ようやく今の豊かさに気づける心境になった

近くの神社へ参拝した

ひさかたぶりのブログの更新になった。これといって、特筆することもなく、元気に過ごしている。

 

先日、近くの神社へお参りに行った。雨が降ったり、止んだりのすっきりしない天気だったけれど、暑くもなく、かといって、寒くもなく、ちょうど良い気候。気持ちの良い参拝ができた。

境内に入った時は、神社関係者以外、1人の参拝者もいなかった。わりと大きな神社ではあるので、コロナ禍とはいえ、珍しい。おかげで、ゆっくり、お参りできた。

 

散策ついでに、ちょっと離れたお寺にも足を伸ばしてみた。入口で、かわいらしい1匹の猫ちゃんがどこからともなく現れ、こちらを見つめている。「あれ、お出迎えなんて、珍しい」と思っていると、こちらにやってきて、何度も体をすり寄せてくる。

「お前も暇なんか?」と、首や背中を撫でたりして、しばらく遊ぶ。そのうち、飽きたのか、ぷいと、雑木林のほうへ消えてしまった。

 

「気まぐれさんだね」と笑いながら、去っていく猫ちゃんの後ろ姿を見送った。これでいい。縁あれば、ちょっと、つながればいいし、飽きたら、バイバイさ!「これぞ、一期一会よ」とうそぶいてみた。お参りをすませ、帰途につく。

 

終始、ゆっくりした時間が流れていた。とても良い1日だった。

仕事量をさらにセーブする

ここ最近は、18日ぐらいの出勤をしている。週4日のペースよりはちょっと多めの仕事量だ。いろいろ、健康上の理由で1ヶ月休む同僚がいたりして、人手不足が止まらないみたい。まあ、できない量ではないんだけれど、なんか、自由な時間が減るのが嫌。

 

なので、上司に「来月から、せめて、16日ぐらいの出勤にしてもらえませんか?」と掛け合ってみた。「こいつ、どこまで、仕事しないんだよ?」という冷たい視線を感じながらも、「忙しい月は、1〜2日増えるのは、勘弁してね」としぶしぶ了承してもらった。

 

実は、4月に、その上司から呼び出しを受けていた。「賃金体系を変えるね。バイトになってから付与されてなかった「特殊乗務手当」を復活させるから」というお達しを受けた。この手当を付与されると、手取りが2万円ほど違ってくる。怠け者の自分でも、とりあえずは、まだまだ必要らしい。

 

しかし、勤務意欲があまり(というより、ほとんど)ない私は、それをいいことに、「なら、2万円増えた分、自由時間に回します!」とばかりに、上のような決断をした。

 

社員からパートになって、収入は確かに、減った。でも、ありがたいことに、ほとんど変わることなく、今も生きていられる。なら、もうちょっと、労働量減らしても大丈夫だ。ダメなら、また、他の手を考える。いくらでも、選択肢はあると思っている。

豊さを否定する自分がいた

余裕が出てきたせいか、最近、あまり怒らなくなったと思う。周囲では、もちろん、いろんなことがある。嫌だなって思うことも、たまには、ある。それでも、どこか「まあ、いいっか」という意識が奥底で根付いている。流せるようになったことも、格段に増えてきた。人との関係も、そして、今の自分にも。

 

正直にいうと、今の恵まれた自身の状況を、どこか、素直に受け入れられない自分がいた。

 

両親と同居ということもあり、食うには困らない状況にある。「バイトになったのは、そういう『甘え』もあったのではないか?」とか、どこか、後ろめたさを感じていたように思う。

 

バイトは一時的で、チャンスがあれば、なにか、やってやれるかもしれない。ここ数ヶ月、そんな落ち着きのなさがあった。その根底には、今の豊かさを否定する自分がいて、それを紛らわすために、「やってやれる何か」を探し続けてきたのかもしれない。

 

しかし、思索する(というよりは、ぼーっとする)時間が増える中、今の状況も、ありがたい恩寵なのだと素直に受け入れられるようになった。そうだ、「これでいいのだ」と。

 

今まで、散々、どんな生き方でもいいと思い、書き続けてきたけれど、自身には少なからず、罪悪感があったようだ。「自分の力だけで生きなくてはならない。」いつも、そんな想いに囚われていたように思う。

 

いいじゃないか、助けてくれる人がいるならありがたくご好意を受け取り、今の環境をとことん、享受すればいい。成長とか、後ろめたさとか、今の状態を否定していく余計な考えは必要ない。流れに逆らわないでたどり着く場所場所で、生きるのでいい。というより、自身にとっては、そっちのほうが圧倒的に楽なのだ。

 

バイトになって、数ヶ月が経ち、ようやく、今の自分に許可が出せたようだ。やれやれ(笑)。

今後の目標は「自身を鏡にする」

これ(流れに逆らわない)を、もっと加速できたらいい、って思っている。神社の拝殿には鏡があったけれど、ちょうど、あの鏡のように、余計なフィルターをかけずに、映ったものを、そのまま反射し、映し出していく。そうしたら、もっと、生きやすくなりそうだ。

 

余計なことを考えずに、周囲の出来事を、自分がそのまま、映し出し、あるいは、出来事に映し出されるようになる。そうすれば、「生きるためには、これをしたほうがいい」という想いも減っていく。「したほうがいい」から、「するならする、しないなら、しないし、していない」に自然になっていく。

 

かくして、初めから、悩みはないし、悩んだとしても、それは幻みたいなものなので、大いに悩んでいいのだ。そう、やっぱ、全て、そのままでいいに戻っていく。

 

バイト量を減らして、自由時間を大いに獲得し、なにもせず、無駄づかいし、鏡になる!いい「目標」ができた(笑)

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