2020年総括みたいなもの

大きく動いた2020年

今年は、本当に、世界も激動だったけれど、個人的にも大きく動いた年だった。4月に、予想もしなかった引越しをし、12月から、社員を辞め、パートになった。

 

人間、「こうなる!」と決めて行動しているのに、思ったこととは違う方向へ向かい、「今、何で、自分は、こういうことになったのだろう」と、全く予期できない状況に立つことがよくある。

 

前者は毎年、しょっちゅう経験したけれど、今年、自分は、後者を肌で感じた。良い悪いで判断するなら、引越しは良き、パートへの異動は悪しき事となるのかもしれない。

 

もちろん、こんなブログを書いてきているので、善悪だけの視点は取らないつもり。というより、収入は減るものの、パートになって仕事量も格段に減った事で、満足感が増している。なので、やはり、良い悪いで言っても、やっぱり、よかったね(笑)。

 

このまま、パートでいくのか、それとも、ほかの仕事に就くのか、正直、自分でもよくわからない。今のところ、バスの運転を辞める理由、決定打もないので、まあ、しばらくは、このままだろう。

 

朝は早いが、午後2〜3時には帰って来られる。そんなライススタイルがたぶん、性に合っている。ただ、もうちょっと、効率の良い仕事もあるかもしれない、とも思っている。まあ、いいさ、なんかがあれば、また、なんか、動くさ〜。

問題は、それをどう感じるかってだけ

人間は、夢や目標を持つのもいいんだけれど、こうやって、なんか予想できないことが起こるのも悪くない。その中には、きっと、嬉しくないことも含まれるだろうが、突破口というのはある。いや、これは、「希望」ではなくて、経験則。

 

突破とは、何も、戦って道を作るだけじゃない。時間をあけて、待って、向こうが勝手に変わるのを待つことも、その一つだ。諸行無常。釈迦も言ってるじゃない。世の中、どんどん動いていく、変わっていく。だから、変わっていくに任せたらいい。

 

問題は、そのなかで、どう感じることができるかってだけ。目標達成した、とかって、実は、それほど重要じゃない。もちろん、嬉しいし、楽しいけれどね。でも、嬉しい、楽しいは、やがて消える。消えるものは、追いかけられないものもある。

 

その、追いかけられないもの、追いかけられない時間をどう感じられるのか。叫ぶのか、泣くのか、じっと耐えるか、それとも、次の何かに向かうのか・・・。そのどれもが正解で、そのどれもが間違いだ。それなら、自分が感じるものをとればいいし、成り行きに任せても、きっとどっかにたどり着く。

やっぱり「生きる」しかない

どう感じてもいいけれど、とにかく、生きる。うん、そうだ、感じるとかも、どうでもいいな。とにかく、今、生きてるんだから、生きる、これだけだね。概念とか、賛否とか、教えとか、恥とか、すべてを取っ払うと、これしかない。

 

なので、自分も生きる、来年も。そして、そんなに大してない、(非常に小さな、どうでもいい)やりたいことをやっていくしかない。

 

来年もまだ、車は維持できそうだから、法定速度を守って、愛車ぶっ飛ばす!神社仏閣にも、まだ行ける!剣術も、覚え悪いけど、まだまだ「来なくていい」って言われてない、やれる!まだ、本も読めそうだ。いいじゃない、来年もいい年になりそうだ。

 

何かがあれば、うれしい。けれど、なにもなくても、ありがたい。

 

そんなわけで、これを読んでくださった奇特な貴方様も、どうか、良いお年をお迎えください。今年もありがとう!

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