これからは、自分を律する時代だ!?
思い出を書いたらスッキリした
先日、高校時代の赤面症のことを記事にしたけど、そのあとは、なんか、妙にスッキリして、いろんなことが流れていった感じがある。やっぱり、何か、引っかかっていたものを明確にし、「これはいらないものなんだな」って納得することは大事。
思っていることを言語化しておくっていうのは、とてもメリットが大きいな。とにかく、少し、心身ともに身軽になった。ありがとうございます。
雇用契約書を再び結んだ
ところで、昨日、再び、今いる会社と「雇用契約書(パート)」を結んだ。まあ、形式的なもので、半年に一度、自分の今の雇用状態を確認しておくだけ。変わらず、また、半年、雇ってくれるみたいだ。
書類にサインしている時、上司が「あのさあ、そろそろ日数、足りないんじゃないの?」って宣うから、一瞬、意味を理解できなくて「はい?」と聞き返した。
「あ、いや、それで働く日数が足りてるのかな?って…。」と上司。ああ、お前は、これで、十分な収入が得られてるのか?っていう意味ね。
「ええ、もちろん、大丈夫ですよ。今のままで、問題ないです。」と笑顔で返す。実際、本当に、問題ないのだから。
「あ、そう、ならいいんだけど…。ま、これからも、よろしくね。」と曖昧な愛想笑いを浮かべながら、自分のサインした書類を持って、私から離れていった。
「(人手不足で)日数が足りてないのは、あんたたちだろ?」とひとり、毒づいたけど、秋晴れで気持ちのよい青空が広がる、バスの駐車場にたたずみながら、ふと、笑みがこぼれる。なんとも、気分がいい。
これでいい。とりあえず、自分の需要はまだ、あるみたいだし、テキトーに働いて、働いた分だけのお金はいただいていく。がんばらんよ。もう、自分を追い込むことはしない。
「どうでもいい」のパートをなめるなよ!ひとり、心の中でつぶやく。どうも、会社は、いろいろ、心理的な圧力をかけたがっているみたいだけど、そんなの、それこそ、どうでもいい。今の職場なら、どうやっても、心理的には追い込まれないから。ほとんど、ひとりなので。
それに、自分はまともには、戦わない。ヒョイとかわしていってみせる。そして、いいところだけ、いただいて、どんどん利用していく。これぞ、わが剣術流派が礎とする孫子の兵法。なんちゃってだけどね。
生き残るために、どんどん逃げてくぜ。(ちなみに、これを剣術の先生に言ったら、多分、叱られる…。)
これからはどうやって遊ばせる?
もう、強制されてやるべきことは、どんどんなくなって来ている。これからは、どう、自分を律して生きるかが焦点だ。律するっていうのは、つまり、自由な時間で、どう自分を遊ばせていくかっていうこと。
もちろん、私の好きな、ボーっとするっていうのは、一番大事な時間なんだけど、ちょっと、遠くへ行きたい気分。そうだ、手始めに、自転車を新しくしようかなあ。今の折りたたみから、クロスバイクにして、今より、ちょっと、遠くへ足をのばしてみようか?子どものころのように。
もしかしたら、また、違った空気に触れられるかもしれない。なんか、ワクワクしてきた。