人生とは「現象に対してどう意味付けしてきたか?」の積み重ね

「うまくいく」ってどういうこと?

私たちは、「人生がうまくいく」とか「思い通りになる」ということに、大きな喜びを感じます。しかし、このブログのテーマでもある「放っておく」を実践しつづけていくと、素朴な疑問が浮かぶようになりました。

 

いったい、うまくいくとか、思い通りになるって、なにをもって、そのように言えるのか」ということ。

 

もちろん、「◯◯を得た」とか、「◯◯を手に入れた」ことでもって、うまくいったとしてもいいです。しかし、その◯◯を手に入れなくても、放っておける、穏やかな状態を保てるのであれば、うまくいくとは、いったい、どう定義すればよいのでしょうか?

 

おそらく、この質問に、答えを出す必要はありません。っていうか、永遠に出ないでしょう。うまくいくとか、思い通りになったという想いは、たぶん、ただ、そう思っているだけなのかもしれないのです。実際、あとの結果が「全く違ったものになった」というのは、よくある話です。

「うまくいった」「うまくいかなかった」は勝手な意味づけ

現象は、ただ、現象としてあるだけです。そこに、ただ、私たちが勝手に、うまくいったとか、うまくいかなかった、とか意味付けしているに過ぎないのです。

 

思い通りの「思い」とは、まさに、自分が思ってきたこと。

 

つまり、現象に対してどう意味付けしてきたかの積み重ねが、人生なのかもしれません。だからと言って、ポジティブにならなければいけない、は逆効果です。まずは、現象に対して中立になれる、放っておけることが先決です。

日々の生活を重ねた先に「うまくいっている」が増えている

そうすると、私たちにできることは、ただ、ただ、生きていくこと。縁あって、都合の良いように事が運べば素直によろこび、その逆であれば、「そういうこともあるよね」と、放っておけばよいのです。時を置いて、次のチャンスがあるかもしれないし、別のギフトが訪れるかもしれません。

 

そうやって、日々を重ねた先に、ふと、「なんだ、けっこう、うまくいっているじゃないか」と思う日が来るでしょう。それは、ものすごい喜びや感動を伴ったものではなく、ただ、なんとなく、そう思える程度のものです。かすかなものではありますが、なぜか、安心できます。

 

それは、例えれば、暗闇に灯ったろうそくの灯りに似ているかもしれません。ろうそくの灯りは小さく、頼りなさそうに見えますが、その灯りを頼りに、どこへでもいける、道しるべになり得ます。

 

と、詩的なこと書いてみましたが、最近、見たテレビCMで、女性がお豆腐の入った鍋を両手に持ち、踏切の前で電車が通過するのを待っているシーンがありました。旦那さんと二人で、そのお豆腐料理を肴に一杯やる。そんな楽しい風景を想像しながら、佇んでいるのでしょう。あんな感覚に近いですかね。

 

そういう小さな楽しみを、ただ、ただ、積み重ねていく、そんな生き方もいいんじゃないか、っていうのが、今日、書いてみたかったことでした。

 

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