人生は勝つことより負けないことでうまくいく

人生は負けなければいい

「人生うまくいってないなあ」とか、「自分は、いったい、何をやっているんだろう?」とか、精神的に辛い時期って誰にでもあるかと思います。そういう方には、こんな言葉をかけたいなあと思います。

 

しぶとく生き残ろう!辛いと思うのは、人生を真剣に、よりよく生きようと考えている証。悪いことではありません。ただ、人生と戦うのはやめましょう。

 

たいてい、戦ってしまうのは、思い通りにならないとき。でも、思い通りにならないときに、戦っても、あまりうまくいきません。運良く、うまくいっても、自分が疲弊してしまっては、その戦いは負けです。

 

人生は、勝たなくても、負けなければ良いのです。負けないとは、とにかく、生きること、逃げても、例え、恥をさらしたとしても。生きていれば、そのうち、運が向いてくることもあるし、状況が変わっていくことを体験できるでしょう。そのなかに、思い通りになることも、いくつか、でてきますよ。

人生と戦わない、逃げるときは逃げる!

私は、以前、近所の人たちに、陰口を叩かれたり、嘲笑、総スカンされたりと、けっこう辛い目にあったことがあります。自分にも、確かに、非があったことは認めますが、今でも、あれは濡れ衣だと思っています(まあ、向こうも、自分が悪いとは思っていないでしょうから、お互い様です)。

 

そんな状況が数年続きました。でも、放っておけると、自分も環境に適応してくるし、近所の人たちも、人にかまっている暇ってそんなにないんですよ。一部の執拗な嫌がらせ等をする人間っていうのはどこにでもいますが、自分自身に問題を抱えていることが多いので、それこそ、放っておきましょう。

 

で、私自身がそういう時期に、心がけたことは、とにかく戦わない(相手にしない)、逃げるときは、逃げるです。状況をなんとかしよう、正義は我にあり、なんてやっちゃうと、余計、悪化すると思ったからです。

 

近隣住民っていうのは、けっこう、やっかいです、まともに相手にすると。集団で徒党を組むのは平気だけれど、不利となったら、知らんぷりする、保身を図る、姿の見えないめんどくさい存在なのです(もちろん、独断と偏見です!)。

 

その証拠に、私が総スカンされているときに、日和見主義的な人が、自分の悪口を言っておきながら、私の目の前を通るときは、にこやかに、世間話をしてくることがありました。人間って面白いでしょ?(っていうか、ぶん◯ってやりたかった!)

放っておくことで状況が変わっていった

良いとか、悪いとかじゃなくて、それが人間なのです。私だって、そういう部分ありますから。で、そういうのが何年も続くと、どうでもよくなってくるのです。人間関係とか、近所づきあいとかが。そうすると、不思議なもので、時間はかかりますが、状況が変わってきます。

 

自分がそんなに気にしなくなったせいもあるかと思いますが、だんだんと、陰口も聞かなくなりました。たまに、いますけれどね、変な目で見てくる人。でも、もう、対処法がわかっています。放っておくのです。そうすると、別段、なにも、起こらず、通りすぎていきますから。

 

スピリチュアルだと、自分の内面を変えて、どうのこうのって説明があるかと思いますが、一番手っ取り早いのは、できるだけ放っておくことです。もちろん、命の危険があるとか、実害があったら、そのときは、しかるべきところに相談するなり、なんなりの方法も必要だと思いますが。

武術も勝つためではなく生き残るための術

これは、武術の心得とかにも通じるんですよ。武術って、勝つための技の練習だと思うでしょ?でも、違うんです。生き残るための術なのです。だから、戦って勝つためだけの技ととらえた時点で、負けです。状況に応じて、逃げるもありなのです。

 

よく、剣術のお師匠さんが教えてくださるんですよ。

 

「弓があるでしょ。弓を習うとき、よく、巻藁(まきわら)3年って言うんだ。マトの前にいきなり立つんじゃなくて、巻藁の前で、3年間、みっちり、弓を引く時の姿勢なんかをこと細かくチェックする。

 

そして、自分のなかに、ある種の基準を作っていくんだよ。これがね、いきなり、マト前に立って、とにかく当てることだけを考えるようになると、どうなると思う?

 

そう、あのときは、矢が右にずれたから、今度は、引く方向を左にずらしたり、次は右だ、というふうになる。つまり、引く時の姿勢が定まらず、めちゃくちゃになってしまうんだ。

 

基準が整っていないから、いつまでたっても、当たらない。たまに当たっても、それはまぐれ当たりだ。武術でまぐれ当たりは、即、命の危険に関わるんだよ。」(引用ここまで)

 

剣術も同じだとお師匠さん、仰います。勝つこと(弓でいう、マトに当てること)ばかり考えていると、たとえば、自分の得意技ばかりにこだわったりするようになるといいます。

 

試合の時に、その得意技を研究されたら、もう、それは通用しなくなり、負けが確定なのです。なので、勝ちを意識した練習ではなくて、いかなる状況でも対処できる姿勢とか、呼吸の使いかた等を重点的に、事細かに指導されます。

 

その基本姿勢こそが、冷静な状況判断と的確な攻防を生み出せるというわけです。

 

日常生活も勝つことより基本確認でうまくいく

これって、日常生活にも通じるでしょ。勝とう、なんとかしてやろうと、はやるより、目の前の基本的なこと、ごはんをしっかり食べるとか、今できることをやるとか、規則正しい生活をするとかができていれば、自然に生き方が整ってくるのと一緒です。当たり前っちゃ、当たり前ですけど。

 

余談ですが、姿勢の良い人というのは、比較的、いい人生を送っている人が多いと思います。だから、昔の人って、しつけ(躾)に厳しかったのです。身を美しくと書くように、しつけのなっている人は、言葉遣いや礼儀作法も心得ているので、一目置かれます。出世とかもしやすかったんですね。

 

最近、気づいたのですが、武術をやる人って、「道」を説く人が多いんです。勝ちにこだわるなって。武術の目的が「生き残る」なら、別に勝たなくてもいいんですよ。

 

大事なのは、生きるための状況判断です。逃げるが最善なら、しっかり、逃げてよいのです。もちろん、戦うしかないときは、生き残れるように、最小限のリスクで持って戦う(ただ、好戦的な人間は、あんまり、生き残れないような気もしますけれど)。

 

強引に、剣術の話にもってちゃいましたが、ここで言いたいことは、逃げる、戦わないのは、恥とかじゃなくて、ひとつの立派な手段です、生きるための。なんか、逃げるのは、恥っていう常識みたいなのが、楽な生き方を邪魔しているような気がするのです。

 

だから、戦って、疲弊するぐらいなら、逃げて、状況変化、時節到来を待つ。楽に生き延びようっていうのが、今日のお話でした。

 

近所の一件があってから、私の価値観はけっこう変わっちゃいました。とにかく、生きていれば、なんとかなるし、なんとかならないことはない、と思うようになったのです。

 

のらり、くらり、いい加減人生・・・じゃなかった、「負けない人生」の始まりです。人間、生きるのには、いろんな手段、方法があることを知っておくこと、大事です。

 

真面目にやっても、うまくいかないなら、いい加減に生きてみる(やっぱり、いい加減かい!)。うまくいくことがあるかもしれません。みなさんも、したたかに生きていきましょう。

 

Follow me!