放っておけない感情はこうやってみた
ノートに感情を書きまくる
このブログでは、思考や感情は放っておけ、などと言い続けています。ですが、おそらく、初期の頃は、「放っておけ」と言われれば、言われるほど、とらわれ続けることがあるでしょう。
そんな時に、私がよくやっていた、感情を落ち着かせるための、ある方法をご紹介しようと思います。珍しく、メソッドぽいものを、今日は書きます。
ノート1冊とボールペンを用意します。用意できたら、ノートを開きます。そして、ボールペンを持ちます。その後、こんなことを書きます。
「(人の名前)、◯◯! (人の名前)、◯◯!・・・以降、繰り返し・・・」
◯◯は悪態です。ここでは、とても書けないようなことを書いています。近隣住民に嫌がらせをされた際、私は、上の文言を、気の済むまで、延々と書きなぐっていました。◯◯に、なにが入るかは、ご想像にお任せします。
当時は、悔しさと怒りが募って、筆圧は、予想以上に強くなりました。ボールペンの先が、紙を突き破り、ノートは、ところどころ、ちぎれて、穴だらけになりました。5分ぐらい、書くと、落ち着いてくるので、落ち着いたら、ノートを閉じておしまいです。
スピリチュアルから抜け出す直前に受けていたヒーリングと同時並行で、やっていました。
感情は浮かび上がらせて、統合させる
このノートの効果があったのかどうかは、わかりません。が、心が落ちついてきたのは確かです。もしかしたら、書いて罵声を浴びせる、という行為が、当事者に直接罵声を浴びせる、っていう行為と同じような効果があったのかもしれません。
こういう方法を書くと、まじめにスピリチュアルをやってきた方なんかは、「とんでもない方法だ!」とか、「そんな悪態をついたら、いずれ、(因果応報的に)自分にも降りかかってくる・・・」と思われるかもしれません。
しかし、今の私から言わせれば、心地よいものだけ、都合の良いものだけを受け入れようとした結果、自身の本音がぼやけ、逆に、ネガティブなものへの耐性が薄れてしまったのだと思うのです。
ネガティブであろうと、ポジティブであろうと、一度、浮かび上がった自身の想いに気づくっていうのは、とても大切です。気づいていなければ、感情と同化してしまいます。私のように、自身に怒りがあったことにさえ気付かず、そのまま感情をぶちまけて、周囲との関係を悪化させてしまいます。
余談ですが、気づいていて、敢えて、感情を出すのと、気付かないで、そのままぶちまけるのとは、まったく意味合いが違います。そのお話は、いずれ、機会があれば、また。
お話、戻ります。書くという行為は、一旦、自身の感情を浮かび上がらせて、把握し、改めて、自身に統合させる意味合いがあるのではないか、と感じます。
正直な感情に気づいてこそ、次へ行ける
スピリチュアルなんかにハマる優しい人は、いろんな感情を溜めこめやすいでしょう?だからといって、面と向かって、人に文句も言えない。言えないからこそ、そういったものを言わないですむような方法や世界を今まで、探してきたんですよね?
そんな、悶々としてるときに、人に直接、しかも上手に、感情を表現するなんて、至難の技です。
だから、放っておけない感情は、ノートにいくらでも、罵声でも、悪態でも、気がすむまで、書いて、書いて、書きまくってみましょう。人でも、世の中でも、理不尽なことでも、なんでも・・・。そうやって、気持ちが落ち着き、筆がとまった瞬間に、ふと、なにかを感じるかもしれません。
放っておけない、とらわれ続ける感情や思考がある時、気が向いたら、やってみてください。
ちなみに、なんですけど、どうしても、悪態をつくのに、抵抗があるって方は、やる前に、「これから悪態をつかせてもらいます」とか、心で思ってもいいし、軽く合掌してから、やってもいいと思います。
要は、「自分がこれから、ネガティブな感情に、気づくためにやります」ってことがわかっていれば、良いのです。安心して、感情を出し切ってください。正直な感情を、誰にも遠慮することなく、そのまま書いてください。「こんな風に思う私は、ひどい、人間じゃない」とか、思わなくていいです。
あなたは、別に、直接、当事者(あるいは現象)に悪態をつくわけじゃないのです。ただ、自身の感情を書き付けるだけなのですから。誰に、見せるわけでもないんです。
思いっきり、ありのまま、正直に感じたものを、素直に書いてください。でないと、良い、悪いの世界は超えていけないのです。
書いた紙は、初めのうちは、ノートから剥がして、やぶって捨てるのがいいと思います。私は、そのうち、面倒くさくなって、そのままにしていました。あとで、引っ張り出して、気づいた時に、「ああ、そうだ、こんなものいらない」とテキトーに処分してました。
まあ、あんまり、しゃっちょこばらずに、気が向いたら、テキトーに、やってみてください。