どうもこうもない!

人生、どうもこうもない!

皆さま、お久しぶりでございます。久々の投稿となりました。ここ4ヶ月ほど、新規記事を書いていないにも関わらず、一定数のアクセスを頂いていることに、大変感謝致しております。

 

本当にありがとうございます。

 

実は、私自身、なんというか、特に「人生はこうだ」とか、言うことに関心が薄れてしまっていました。人生、どうも、こうもなく、ただ、ただ、流れに任せていこうぜ!

 

どんなに、取り留めもなく、グダグダ文章を書いたとしても、この一文に、行き着いてしまうのです。

 

このように、書くと、「いいなあ、すべて、順調なんですね。。。」なんて、もしかしたら、思われる方もあろうかと思いますが、そんなことは、ありません。

 

相変わらず、気に食わない人や面白くないことはたくさん(?)あるし、なかなか、思い通りにいかないこともあるんですよ。生活も、ちょっと、単調になってきましたしね(笑)。

 

ただ、ひとつ、そこに、悲観も、楽観もないのです。「なんだ、結局、諦観とか、あきらめ、なんですね?」となるかもしれないのですが、ちょっと、違うのです。

 

世間一般で言われる「諦め」は、悲観が含まれて使われる場合もあるのですが、そうじゃないんです。諦める必要なんて、ないんですよ。思い通りにならなければ、思い通りにしなければいいのです。

 

だからといって、無理やりにでも、楽観して、無理やり、落ち着けと言うことでもありません。今、できることはやり、できないことは、やらないっていうだけ。

なにが正解なんてわからない

無理をしなければ、今を生き急がなければ、ことは勝手になっていきます。「わかった!じゃあ、なにもしない!」って納得した方、たぶん、それは、正解ではありません。

 

「なにもしない!」なんて、決めつける必要はありません。

 

「わかった!じゃあ、頑張る!」と思った、あなた。それも、たぶん、決めつけです。

 

じゃあ、どうするの?「どうするの?」って、思ってるのは誰ですか?「思ってるもの」に正解はわかりません。そもそも、正解なんてないかもしれないのです。

 

とにかく、今、やっていることが「正解」かもしれません。それは、ちょうど、お腹が空いたら、ごはんを食べる、眠くなったら、寝るのと一緒の感覚ですね。

 

言葉にとらわれる必要はありません。やりたいこと、やってみたいことがなければ、ないで、いいんですよ。今、やることをやってください。

「引っ越し大名」に思う人生観

つい先日、「引っ越し大名」という映画を観てきたんですよ。

 

星野源さん演じる、お城の書庫番で、日がな一日、本ばかり読んでる引きこもり侍が、ある日、突然、お国の一大事「国替え」実行の総責任者にされてしまいます。

 

突然の「不運」に戸惑いながらも、多くの協力者に支えられて、見事、難局を乗り越え、成長していく超娯楽時代劇です。

 

気弱だけど、誠実に、着実に、やるべきことをやっていく姿を観ながら、「たぶん、人生って、こんな感じじゃないかなあ」と思った次第です。

 

やるべきことがある場合は、望む望まないに限らず、やらなくちゃいけない時がやってくると思うんですよ。そうなったら、そうなったで、今、やることをやっていくだけ。

 

失敗しようが、成功しようが、悲観しても、楽観できたとしても、命ある限りは、今、やるべきことをやればいいんです。引きこもれるなら、引きこもれる時まで、引きこもる。それが、「今」です。

 

縁あって、なにか、やることになったら、文句言いながらでも、格好悪くても、格好つけながらでもやる。それも今、やることです。もちろん、やりたいことがあるなら、楽しくやればいい。

プラスでもマイナスでもないところの面白さ

楽しいことをやれ、好きなことをやれ、それだけに拘ったら、決めつけです。降ってわいてきたことに、乗ってみるのも、「正解」かもしれませんよ。

 

しかし、たまたま、やっていることが、本気で嫌になってきたら、それもまた、変化を起こすチャンスかもしれません。

 

結局のところ、誰にも、「この人生がいいのか」「この選択がよかったのか?」なんて分からんのですよ。だからこそ、悲観(諦観)する必要もないし、無理にポジティブになる必要もないのです。

 

その、なんというか、プラスでも、マイナスでもないところに、人生の面白さというか、静かな楽しさみたいなものがある、と個人的には思っています。

 

まあ、それも、こだわってしまったら、一気に、苦しみ、悩み突入ですし、やはり、言葉というのは、あてになりません。ご自身の見つけられたもののみが真実となり得ます。

 

スピリチュアルなんかでいう、思考が停止した瞬間とか、なんにも考えない瞬間、「無」「源」と呼ばれるものとの一体とか、そういうものを「感じ」られれば、うまくいくとか言いますけど、そういうのも方便でしかありません。

 

だいたい、人間は、思考も感情もあってこその人間なのです。そういう理屈から離れること(こだわらないこと)こそ、「一体」であると思うのは私だけでしょうか?

 

ああ、なんか、久しぶりに記事を書いたと思ったら、また、同じ内容ですね(笑)。

 

まあ、結局、冒頭の一文に戻ります。人生、どうもこうもない!あまり深く考えず、無理なく生きていきましょう。

 

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