幻聴を克服した体験談

幻聴が招いた隣人トラブル

一時期、幻聴に悩まされたことがあります。たぶん、ひどくなったのは、ヒーラーをやっていたころです。近所で行われる、おばちゃんたちの井戸端会議が自分の悪口を言っているように聞こえたり、周囲で笑い声が起きると、それが自分を嘲笑しているように思ったり。

 

以前から仲の悪かった、隣人のおじいさんが、別の男性と話し込んでいたとのを見たとき、私は瞬間的にカーッとなって、つかつかと歩みより、「言いたいことがあるなら、今、直接、私に言ってください!!」と唐突に、怒鳴っていました。

 

いやはや、これがいけなかったです。その方は、一瞬ひるんだように見えましたが、次の瞬間、ニヤニヤと笑い出し、手を軽く振って、「わかった、わかった」と足早に過ぎ去っていってしまいました。

 

次の日から、近所で、「おかしな人」のレッテルを貼られて、外に出るたびに、本当に笑い者になってしまったのです(まあ、実際、私は、たしかに、おかしかった!)。それからの2年ほどは、辛かったですね。近所のほぼ全員が敵になってしまったのですから。

 

精神的に、かなり参りながらも、なんとか、信頼できるヒーラーさんを見つけて、相談に乗ってもらい、家族にも助けられながら、自身の立て直しを図ることができました。

 

正直、自分一人だったら、もたなかったと思います。おそらく、引越しも考えなければならなかったでしょう。実際のところ、今でも、近所での私の評判は良くはありません。それでも、それを気にすることなく、生活できているのは、家族と、そのヒーラーさんのおかげです。改めて、感謝です。

 

ところで、なぜ、幻聴を発したのかは、今考えると、よくわかりません。たぶん、経済的に自立できていなかったこととか、スピリチュアル等、あまりにも目に見えない世界のことばっかりやってきて、心が敏感になりすぎたためだと思っています。

幻聴への対処のしかた

お世話になったヒーラーさんにも教わったことですが、幻聴への対処は、私の場合は、もう、すべて無視です。近所から悪口が聞こえてきたとしても、そして、それがたとえ、本当のことだったとしても、すべて、相手にしない、ということを貫きました。

 

もちろん、心の葛藤は常に存在するのですが、その時は、スピリチュアル関係の本、特に、さとり系の本を読んで、自身の心をなだめていました。運動も、よくしました。気がまぎれるので。自転車で半日、運動すると、かなり、すっきりするので、悩み事がある場合には、かなり有効な手段です。で、そんなこんなを2年ほど、続けていたら、だんだんと状況が変わっていきました。

 

まず、自身の再就職が決まり、会社に行き始めると、1日中家にいることがなくなって、近所と離れることができるようになりました。会社でも、自分の悪口を言われているように、聞こえることはあったのですが、とりあえずは、仕事をしなくてはならないので、それに構っている暇はありません。

 

聞こえても、もはや、例の1件で懲りているので、只々受け流すようにしていました。で、仕事に慣れてきたら、同僚とか先輩に信用されるようになったので、そのうち、会社での評判はよくなって、人間関係は円滑になりました。あまり、悪口は聞かなくなりましたね。

悪口に対してもやっぱり無視

会社に再び、勤め始めて、思ったのは、結局のところ、自分への悪口がどうのこうのっていうよりは、やっぱり、その悪口に対して、自分がどう反応するのか、だけにかかっているということです。

 

要するに、言われても、それをただ、無視したり、聞いても、流してしまえば、それは、本当に流れていってしまいます。流れた次の瞬間には、もう、穏やかな状態がやってきます。やってきます、っていうよりは、常に、穏やかな状態は、いつでも、そこにあるんだっていう感じです。

 

このこと、もう少し、早く気づいていれば、近所でも、何事も起きなかったのになって思いますけれど、まあ、それは、貴重な経験ということで、よしとしています。この件以来、職場でも、近所でも、観光地でも、頭にくるようなことがあったとしても、割とすぐに、受け流すことが可能になりました。2年間の修行の賜物です(笑)。

 

ちなみに、冒頭で取り上げた、仲の悪かった、近所のおじいさんはこの後、ストーカーへと変貌していきます。詳しいことは、ここでは書きませんが、幻聴で懲りた私は、一切合切、無視を貫き通したところ、この後、3年後くらいに、私の前からいなくなりました。

 

これは、ある人に言われたことです。

 

「あなたが蒔いた種だし、あなたが全然悪くないとは思えない。でも、一生懸命に生きてきて、こういう結果になったのでしょう?だったら、過去を悔やむより、これから、経験して学んだことを活かして、生活すればいいんじゃない?」

起きたことが「学び」だなんて、勝手にそう思っているだけ

最近、特に、思うことがあります。この経験は一方では、学びだったのかもしれません。でも、それを学びだと思うのは、やっぱり、ただ、そう思っているだけなのだと。

 

本当は、学びかどうかはわからなくて、ただ、そういうことが起きただけで、どのように思うことも構わない。ただ、どうせ、思うのだったら、これを糧にして、次は、どういう対処をしてやろうか、って考えた方が、スムーズに生きられる。ただ、それだけなのかなって、思います。

 

近所も職場も、嫌なことを避けるために、引越しをしたり、転職したりもありだと思います。でも、受け流したり、あるいは、「そんなことは、どうでもいいことなんだ」って思い始めると、追ってきたなにかが、追うのを止め、自身が追ってきたものも追わなくなり、なにかが変わるかもしれません。

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