『まんが日本昔ばなし』に学ぶ世の理

『まんが日本昔ばなし』に人生を教えてもらう

私は小さい頃から昔話が好きで、テレビ放映されていた『まんが日本昔ばなし』をよく見ていました。昔話って、本当にいろんなことを教えてくれます。

 

たとえば、よいことをしたからといって、報われるわけではないこと、人がいいのに、なぜ、こんな死に方をするんだろう?とか、とにかく、私たちが好むような勧善懲悪だけではない結末が、そこにあるからです。

 

つまり、世の中には、私たち人間には、推し量ることのできない、理不尽なことも存在する。それに対して、どう、向き合うのか、どう対処して生きるのか、そんなことを教えてくれるのです。なかでも、私が子供の頃に、とても印象に残ったお話があります。それは、「正直庄作の婿入り」という山口県のお話。ちょっと、あらすじだけ、ご紹介してみます。

「正直庄作の婿入り」というお話に憤った

ある村に、庄作という根がとても正直で働き者の男がいました。この村は、なぜか、みんな、男も女も顔立ちがよく、つんとすました人ばっかりだったそうです。対して、庄作は、顔は悪く、根が正直すぎて、村人によく利用され、バカにされていました。

 

たとえば、自分が釣り上げた魚を、「それは、私が目をつけていたフナだ。勝手にとるんじゃない」とか、山でとってきた焚き木を「それは、私が前から目をつけていた焚き木。悪いと思うのだったら、私の家の納屋に運んどいてくれ」とか。

 

そういうことを言われても、庄作は、素直に「それは、すまんこって。堪忍しれくれや」と言って、村人のいう通りにし、明るく元気に過ごしていました。そんな庄作の話相手は、道端に立つお地蔵さま。いつも、団子をお供えしては、「お地蔵様、私に、どうか、よい嫁ごが来ますように、お願いしますだ」と話かけておりました。

 

でも、顔が悪く、正直すぎてバカにされてしまう庄作のもとに、ご縁はなかなかやってきません。そのうち、素直で明るかった庄作も無性に悲しくなり、ある日、「お地蔵さま、やっぱり、こんなおらの所に来る嫁なんかいるはずねえだ。無理なお願いでしたな。すまねえこって、堪忍してくだされや」と胸の内を吐露。

 

すると、その日の夜のこと。庄作の前に、きれいな白無垢姿の嫁さんが現れます。どこからともなく、お酒やら、料理がたくさん並び、大勢の人が庄作とそのお嫁さんを祝福します。庄作は、とても満ち足りた気持ちになり、幸せでした。

 

次の日、庄作はよい気持ちで寝ているところを村人に発見されます。「昨日、狐の嫁入りがあったというが、庄作のやつ、さては、化かされただな。」そう、この村には、昔から狐たちが住んでいて、庄作がお地蔵さまにお供えしていた団子をちゃっかり、いただいていたのです。庄作がもらったと思っていた嫁御も狐のしわざ。すべて、夢の出来事でした。

 

この一件以来、庄作は村人たちから、ますますバカにされるようになりました。ところが、庄作は不思議なことに、前よりも一層明るく、働き者になり、毎日を楽しく過ごしたということです。

 

私は、この話をちょっと前まで、結末に納得がいっていませんでした。正直に生きるものが、なんで、こんな目に遭わなくちゃいけないのか、子供のころから、何回読んでも腑に落ちなかったものです。今まで、ずっと、「正直に生きれば、よいことがある」と教わってきましたから。

 

自分が満ち足りていれば、傷つける他人もいない

しかし、ようやく、「この話は、この結末で、問題はない」と思えるようになりました。「庄作には、現実でも、幸せになってもらいたかった」と思う人は、たくさんいると思うのですが、それは、こちらの勝手な言い分です。

 

現に、庄作は、嫁さんの有無に関わらず、幸せに過ごすことができたのです。読み手がどう思おうが、村人がどんなにバカにしようが、狐がどんなに「してやったり」と思おうが、この狐の嫁入りで、庄作自身は本気で幸せだと思うことができたのです。

 

これこそ、昔話が教えてくれる、本当の生き方だと、納得できました。これは、決して、無理に幸せを思いこもうとかの次元ではありません。言葉にすると陳腐ですが、周りがどうあろうとも、すべては、自分次第。自分が満ち足りたとき、自分を傷つけたり、陥れいたりするものはなくなるのだよ、と昔の人は、このお話に託したのだと、今は、感じています。

 

そして、このお話のポイントがもうひとつ。それは、素直であることです。庄作ほどまでに、愚直に素直になることはできないかもしれません(ここでは、素直のデフォルメと捉えるのが普通だと思います)。が、しかし、素直であることで、最終的に、庄作自身の生き方を見つけられたのは、特筆すべきことなのかなあと思います。やはり、正直に生きることは、お得なことなのです。

 

本でも、ドラマでも、物語でも、どうしても、読む人の主観が入ってしまうので、この私の見解もひとつの意見ではあります。でも、世の中は、勧善懲悪だけでなく、理不尽とか、その起きた時には、その意味がわからないことなど、入り混じって、いろんなことが回っていく。そのことを知っておくことは、その先の生き方に、もっと幅広い視野と智慧、さまざまな選択肢を与えてくれるような気がします。

 

いろんな経験をしていく上で、読みかたが変わっていくのも、昔話の面白さです。そんなわけで、今でも、子供の頃に買ってもらった、『まんが日本昔ばなし』を本に編集された全3巻を書棚に残して、ことあるごとに読み返しています。

 

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