最強!?出たら目の法則

マジメに生きて悩んだ学生時代

ブログでは、いつもテキトーなこと書いていますけれど、意外と小さい頃から大人の言うことはよく聞き、学生の頃はよく「マジメ君」って言われてきた私です。これは、本当の話です。マジメに生きることって、いいことに思われているじゃないですか。私自身もマジメに生きることはいいことだと思って疑わなかったし、大人たちもそれを褒めてくれました。

 

ところが、実際に、今まで生きてきて、この「マジメ」っていう定義というか、概念っていうのが、学校と世間ではズレていたのですよね。私自身は、白黒はっきりつけてグレーゾーンを許さず、法もしっかり守ることが、マジメの概念。学生の時は、ほぼ、これだけで、優位に立つことができました。(今の私からすると、考えられません!)

 

しかし、社会に出てみると、学生の時のマジメは意外と通用しないことも出てきます。「融通がきかない」「頭がカタイ」「もっと柔軟になれ」・・・。褒められることも、もちろん、あったのだけれど、面倒がられることも同じくらい、ありました。

 

「マジメに生きているのに、なんでだろうなあ」って本気で思ったことがあります。結局のところ、世間が求めるマジメっていうのは、相手とか、勤め先等の組織にとって都合よく動いたり、考えてくれる人のこと。そういう人をマジメっていうのだなあ、と思って、がっかりしたことがあります。

 

私の性格では、「マジメに生きろ」って言われたら、大人の言うことをよく聞くことでした。なので、たとえば、会社とか、人から「よいアイディアを出せ」って言われた場合、自分からなにかを発想するっていうことが苦手だったりします。だって、今まで、大人の言うことをよく聞いていれば、褒められたし、それ以上、別に、望まれもしなかったのですから。

世の中何が良いのかなんて、誰にもわからない

こんな風に、世の中、「これさえあれば、大丈夫」っていうものが、社会に出てみると、通用しなかったり、場所や時代、環境が変わることによって、それが不利益になったりすることが、当たり前のように存在します。しかも、そのサイクルが速い。

 

自分が培ってきたものとか、信じてきたことが、通用しなくなったりすると、混乱し、不安を覚えるものです。現代は、まさに、そんな不安要素が複雑に絡み合った土台の上に成り立つ環境なのかもしれません。

 

では、どうしましょうか、となりますが、これはですね、「世の中、なにがよくて、なにがよくないのかは、結局のところ、誰にもわからない」ということを知っておくこと。それが、今ある環境を生き抜く一番の方法のような気がします。

 

前にもちらっと、触れましたけれど、世の中、確かに法則のようなものはあるかもしれません。でも、けっこう例外も存在する。それは、誰もが一度は経験するであろう、世の理不尽さを思えば、納得できると思います。

 

で、私たちは、なんとか、そういう法則とかルールに精通して、その環境で有利に生き残るための、必要なアイテムを我先にゲットするっていうのが現在の主流かもしれません。が、しかし、そのルール自体が、すぐに変わってしまうのが今の世です。

 

たとえば、せっかく就職のために、といって取った資格が、役に立たなくなるのは、よくあることです(もちろん、その資格で得た知識とかが役に立たないということではなく、その資格を「もっている」というステータスが役に立たないことがある、ということです)。

 

また、就職とかに限らず、性格、成績等の優劣がまったく関係なくて、ほぼ「運じゃないの?」っていう状況で、有利な条件、環境を得るなんていうのも、頻繁に存在します。つまり、なにが有利かなんて、はじめから、正確な予測なんかできないのです。

世の中出たら目だからこそ楽に生きられる

早い話が、世の中、多分に、出たら目なのです。

 

すぐに分析して、なにかの法則に当てはめるのが好きな人には、あまりいい言葉には聞こえないかもしれません。法則にあてはめることで、なんとなく安心する、ということが、できないからです。でも、さっきも言ったように、世の中、いろいろあるじゃないですか。人間には、わからないことだらけです。

 

だったら、サイコロがふられて出る目のように、「起きることは偶然」としといたほうが、案外、余計なこと考えないで済みますし、むしろ、こっちのほうが精神的にもいろいろ対処しやすい。出たら目は、決して、悪い意味にはなりません。これこそ、本当は、だれにでも、自分らしく生きるチャンスを与えてくれる、ありがたい、この世の「法則ではない、法則」なのです(なんじゃ、その日本語は!)。

 

だって、自分がマイナスだと思っていたものが、なんかの拍子に、変わった環境や時代とマッチして、役に立つ時がくるかもしれないのですから。

 

そうすると、私たちは、自分の今もっている気質とか、性格、環境を無理やり変えてそのルールに合わせるのは、この「出たら目の法則」に反するため、シンドイのです。むしろ、そういった、今もっている自分のものを上手に利用していくことを考える方が、生き残るチャンスなのではないかと思います。

 

私自身もですね、マジメ、マジメなんて言ってきましたけれど、本当はのんびり屋。悪くいうと怠け者であります。マジメに生きるっていうのは、けっこう無理をしていたのです。なので、本来の気質を大事にし始めたところ、マジメにこだわっていた頃とは打って変わって、日常生活が楽しくなりました。

 

あとは、前の記事でも書いていますが、自分の好き嫌いをしっかり認めて、好きなことを大事にする。好きなものがなければ、嫌いなことはできるだけ、やらないようにしていくと、人生は格段に面白く、楽になり、なにか、観えてくるものがあるかもしれません。

 

まとめると、

1、世の中のルールとか、環境とかは、コロコロ変わる。法則を外れ、出たら目なことも多い(ただし、すべてではない)。何が役にたつのか、あるいは、役に立ったのかは、人生が終わるまで分からない。

2、それなら、今もっているもの(性格とか、気質、持って生まれた環境)や自分の好き嫌いを大事にしていく。

3、すると、案外、時代や環境に翻弄されず、タイミングが合えば、時代にマッチした生き方が、自然にできるようになる

ということでした。

それでも、マジメに生きておくとお得です!

冒頭では、マジメに生きることのギャップに悩んだことを書きましたが、人生のできるだけ早い時期から、真・善・美を大事にして、真剣に、マジメに(誠実に)生きておくと、後々、人生が楽になることは確かです。

 

真善美を大事にすると、逆説的ですが、はじめのうちは、人より多く悩むことになるかもしれません。しかし、その分、そこから脱出しようといろいろ対策を考え、知識も、情報も、良縁も多く得られるでしょう。やがて、時期が来たら、それらがうまく咀嚼(そしゃく)され、時代や環境に翻弄されない、なにかを感じ、穏やかな人生となるに違いありません。

 

なので、やっぱり、小さいうちから、誠実に生きる方が、後々の人生の軌道修正も比較的、早く、楽にできるのではないかと思います。このへんは、出たら目の法則ではなく、ある程度、多くの人に実証されているのではないでしょうか。

 

人生の基本は、真善美。この基本があってこその応用(サボり、いい加減)なのです。(珍しく、もっともらしいこと言っているけれど、なんか、説得力ない!?)

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