人生のめりこまなければうまくいく

人生やってる自分を遠くから眺める意識がある

日々の生活の中で、ふと、我にかえる瞬間があります。

 

「我にかえる」という表現が正しいのかどうかはわかりませんが。「あれを達成したい、これを達成したい、これもやらなきゃ、なんでこんなことが起きるのだろう?」と思う自分がいるのを、ふと、遠くから眺めている、もうひとりの自分(というか、意識?)がでてくる瞬間です。

 

そんな自分(もしくは意識)は、なにも言わず、ちょうど静かに、ちょっと笑みを浮かべながら、ただ、見守っているだけ。なにも言わないのですが、はやる自分というか、いろんな感情や思考でがんじがらめになっている自分に、諭してくれるような感じです。

 

そんなに、マジになるな

 

言いはしませんが、そんな風に言っているように感じます。生活すると、いろんなことが起きてきて、どうしても、その出来事にとらわれてしまいます。とらわれても良いのです。とらわれてもよいけれど、ちょっとだけ、思い出してほしい。

 

マジになるな

 

行動しようと、放っておこうと、なるようにしかならないし、なるようになるように(日本語がおかしい?)、見守る余裕があると、生き方は、ずいぶんと楽になっていくでしょう。

人生にのめりこまなければ自然な展開になる

行動というのは、するもんじゃなくて、自然と自分から動いていくもの。だから、あんまり、マジにならないで、自然と動く展開になるまで、やっぱり放っておくのがいいんじゃないかと、個人的には思います。

 

どのようにありたいか、どんな人生を過ごしたいかは、ちょっとだけ思い描いておく。でも、そのあとは、自然な展開にまかせておくのもひとつの手ですね。

 

あえて、この言葉を使いたい。人生にのめりこまない。のめりこまなければ、自然に、解決策や、妙案が浮かんだりするものです。しかし、のめりこまないとは、決して、真剣に生きないとか、放蕩するとかの意味じゃないです(逆に、放蕩しているのなら、それこそ、ふと、我にかえってほしい!)。自分が、なにを感じて、なにを考えているか、どんな行動をしているのか、しっかりと気づいていること。

 

考えすぎているのなら、ただ、ふと、われにかえる瞬間をもちましょう。その、ふと、我にかえった瞬間が、もしかしたら、真実の自分かもしれないのです(あくまでも、かもしれない、です・・・)。

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