その運は良いのか、悪いのか?

運の良い、悪いってあるの?

「運」という言葉があります。「運」と聞くと、その次には、良い、悪い、を連想すると思いますが、そもそも、この「運」に良い、悪いがあるのでしょうか?私たちは、勝手に、その良い悪いを決めつけていないか、どうか、一度、考えてみてもよいのでは?・・・というのが今日の主題です。

 

人は、予想もできなかったネガティブなことが起きたりすると、苦しんだり、悲しんだり、怒ったりします。どう考えても、自分に非はない・・・そうであればあるほど、「運がなかった、悪かった」という言葉が頭をよぎります。

 

ブログでは、偉そうなこと言ってる私自身も時々、妄想することがあります。あの時、もし、自分がもっと、おおらかな性格であったら、あの娘と結婚していたはずなのになあ、と。(してない!してない!)

 

運がなかった、タイミングが悪かった・・・。人は、そんな言葉で、納得しようとします。でも、納得しようとしてるだけなので、やっぱり、どこかに無理がでて、やがて、また、悶々と悩む。そんなことを繰り返します。これは、恋愛だけじゃなくて、ほかのことも、そうです。

運があってもなくても、受け入れるのがすべて

もちろん、それで納得できるのなら、それが一番ですよ。実際、今、そうはならなかったのだから、それが真実であります、現段階では。

 

どんな理由づけをしようと、また、無理やりだったとしても、それを受け入れるのが得策であり、受け入れないと、次に進めないのです。だから、スピリチュアルを使おうと、なんだろうと、それを受け入れるっていうのは、とても大事なことです。(っていうより、受け入れていくのがすべてです)

 

ただ、みんな、その受け入れるための手段に夢中になっちゃって、肝心の受けれいれるっていう目的を疎かにしがちです。その理由付けが正しいのかどうかが主題に移っちゃう。スピリチュアルにのめり込んでしまうのも、そんなところに原因があるかと思います。

運とは「たまたま」

今日のテーマである「運」。実は、これ、「運」っていうものはないのです。ただ、単に、うまくいったことを運が良かった、ダメだったものを、運が悪かった、って、なんとなく、言ってるだけなんです。

 

そのように考えると、世の中の仕組みが理解できます。仕組みっていったって、大したもんじゃないです。あれですよ、世の中、理不尽なことが起きますけど、「なんで?」っていう説明がつかないこと、たくさん、あるじゃないですか。

 

それを説明するために、遠い未来に遡って、因果とか、カルマとか、私たちは、納得したい。だけれど、実は、「そういう傾向があるかもしれれない」ってだけで、実際のところはわからないのです。だって、そうですよね?

 

なんで、あんな仕事もしない、人望もない奴が出世できちゃうんですか?だから(?)、「運」というのは、「たまたま」なのです。運がいいから、悪いから、起きたことなのではなくて、たまたま、そのようになっただけ。

 

運が良かろうが、悪かろうが、起きたことに対しては、まず、受けいれ、次に、「どうするか?」を考え、実行していかなくてはなりません。なので、運がよい、悪いを論じるのは、あまり、意味がないのです。

 

今やることはやり、やらないものは、放っておく。それだけなんです、人生って。だって、それしか、ないのですから。「たられば」は、感情、思考的に納得するためには、必要な場合もありますが、やはり、一時的なものです。

たまたまですべてから解放される

運をよくするために、パワースポット巡るの、いいと思います。(私も好きです!)良いこともどんどんしてください。でも、それと、運の良し悪しを自身に強制する必要はないです。

 

運とは、たまたま、です。たまたま、って気持ちいいですよ。これこれこうだから、こうなったっていう強迫観念から、解放されるんですから。こんな自由な生き方ってありません。もう、カルマがこうで、因縁がどうだとか、私の性格がどうだから、って延々と考えることは、終わりです。

 

ちなみに、人間関係も一緒です。出会ったのは、たまたまぐらいに考えときましょう。なにかをよくする、見返りを期待するってのがない分、さっぱりして、人からの受けはよくなります。

 

たまたまとは、人生を選べないことじゃありません。逆です。しばられていた「運」と「強制」から解放されて、自由自在に、モノゴトを変えてくれる。まさに、Viva!偶然!なのです。

 

それにしても・・・あの娘何やってかなあ?どこかでまた、会えないかなあ?(・・・って、あんた、全然、ダメじゃないか!)

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