「どうでもいい」がスピリチュアルを超える

スピリチュアルからは早めに抜け出そう

このブログでは、自身が通ってきたために、スピリチュアルのお話を時々、織り交ぜながら、記事を綴っています。ですが、基本的には、スピリチュアルや精神世界というものは、ハマるものではなく、できるだけ、早く抜け出すことが肝要です。

 

私自身が、ヒーラーとかやってきて、感じてきたことなのですが、スピリチュアルに頼り出す時というのは、もう、心がどうにもならなくなった時、つまり、最終手段なわけです。

 

一生懸命、世界を自分の思い通りにしようとして、それが叶わなくなって、内面を見つめ出す。これは、ある意味、人生を真剣に生きようとすれば、必ず、通らなければならない道のりです。ですから、スピリチュアルや宗教にハマり出すのは、人間として、決しておかしいことではありません。

 

しかし、「精神世界」という言葉通り、それは、やっぱり、ひとつの世界なのです。いろんな生き方があるうちの、ひとつの世界。それにハマるというのは、視点がそこだけに、絞られてしまって、心にも偏りが生じやすくなります。

 

だから、いわゆる「引き寄せ」なんかにハマると、引き寄せられなかったものが出てきた時、「これは、イメージングが足りなかった」とか、「もっと、心をこめなくちゃ」とか、また、そこで、いろいろ悩み出すのです。

 

これって、どうみても、本末転倒です。心の解放を目指すために、見出したスピリチュアルなのに、その「教え」に縛られはじめたら、もう、その時点で、思い通りにならなかった外の世界と一緒になってしまうのです。

スピリチュアルとは願いを叶えるための道具ではない

本来、内面を見つめるというのは、最終的に、そういう教えとか、(願いを叶える)メソッドとかを超えていくところに、その面白さがあります。超えていくというのは、このブログのスタンスで言えば、「放っておくこと」です。「超えられたら、じゃあ、願いが叶うんだ!」って思った時点で、もう、思い通りにならない世界に逆戻りです。

 

スピリチュアルとは、本来、願いとかを叶えるための道具ではなくて、できるだけ多くのことが「どうでもいい」境地にもっていくことがその務めなのです。

 

ただ、願いを叶えることの努力も決して無駄ではありません。なぜなら、願いを叶えようとすると、必ず、思い通りにならないことがでてきます。その思い通りにならないことが多々でてきたときに、再び、考える機会が与えられるからです。

 

「いったい、スピリチュアルとは、なんなのだろうか」「幸せになるはずのためのものが、少しも穏やかな心になっていない」というように。そんな思いにもっていくことが、もしかしたら、「願望実現」の役目であるのかもしれません。

 

ちょっと、話がずれましたが、紆余曲折を経て、スピリチュアルに対するある種の疑問が出てきたら、おそらく、もう、何もできなくなります。何をやっても、叶わないものは叶わない。でも、なにもしていないのに、ある時、ふと、手元に来たりする。

私たちにできることは何もない

結局のところ、私たちができることって、たぶん、なにもないのです。なにかを得るために、メソッドをやっていても、それは、もしかしたら、気休めかもしれません。それをやっていれば、叶う」っていう強い思い込みを作るための。

 

このへんは、人それぞれかもしれませんが、私の場合は、メソッドで思い込みを作れなかったので、その逆の「放っておくこと」で、すべてがうまくいくっていう思い込みを作っているのかもしれません。

 

まあ、どっちでもいいのですが、放っておくことの方が、個人的には、ものすごく楽ですし、願いが叶うとか、叶わないとか、気にしないで済むようになります。で、結果的に、気がついたら、うまくいっていることの方が多いかなって感じです。

 

あえて、はっきり言っちゃうと、自分の人生に、思い入れを抱かなくなる、「どうでもいい」と思えるようになると、すべてがなるようになっていきます。っていうか、どうでもいいんだから、なるようにしかなりません。

 

みんな自分がかわいいから、いろんなことで、悩みます。それは、それで良いのです。普通の反応だから。ただ、悩んでいることに、悩む必要はありません。これができるようになると(「できるようになる」って言っちゃうと、メソッドになっちゃうので、あまり使いたくないのですが)、人生に余裕が出てきます。

 

この余裕こそが、すべてを万事、なるようにならしめてくれるものなのです。この余裕は、あらゆる教えとか、ルールとか、もっというと、「思い通りになること」に縛られません。だって、余裕だから。

 

「ああ、そういうのもありますね、気が向いたら、やってみま〜す。」「でも、向いてなかったので、やめま〜す」「じゃあ、別のものでもいいで〜す」こういう、お気楽なものこそ、本当の私たちなのです。

 

だから、教えをもつ、スピリチュアルとか、宗教は、入ったら、出ていくのが普通です。そこに留まることも、ありと言えば、ありですが、本来の私たちであれば、留まることを良しとしないでしょう。

 

承認欲求のある人間に、帰属意識はなかなか外せないものです(っていうか、はずす必要もありません)。でも、本来、スピリチュアルというものは、すべてのことから自由である、と知るだけで、楽でスムーズな人生が創造されると思います。

 

早い話が、ひとつの世界にこだわらないで、バランスよく適当に、生きていく。これだけですね。現実の世界も、「適当」っていう余裕があると、適当にうまく進んでいくんじゃないでしょうか。

追記

2018年11月25日 追記

この記事はスピリチュアルを否定するものではありません。バランスよく適当に楽しめば問題ないです。「どうでもいい」「どっちでもいい」の視点からスピリチュアルや人生を眺めると、人の心とか、世の中の仕組みを俯瞰することができます。その俯瞰こそがあなたを変えていくのです

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