あなたのその願いに条件をつけていませんか?

願いには叶うものと叶わないものがあることをまず受け入れよう

前回の記事の続きになりますが、私たちがこの現実世界を生きるときに、必ず、ネックとなるのが、「で、いろいろ言われているけれど、私のこの願望は叶うの?」っていうことだと思います。

 

スピリチュアルとか、宗教とかに、ハマるのは、結局のところ、そこですよね。みんな自分の思う通りに現実を動かしたい、この一点があるからこそです。

 

しかし、何度も言っていますが、願いというものは、叶うものもあるし、叶わないものもある。この現実世界を生きていく時、これが真実であると思うし、このことを受け入れられるか、否かで、その後の人生の生き方、楽しみ方が変わっていきます。

 

これって、ものすごくシンプル。聞けば、当たり前ことを言っているようにしか思えません。でも、みんな、なぜか、自分の「切なる願い」になってしまうと、話が別になってしまいます。「これだけは、叶えなくては、生まれてきた意味がない」大げさに言えば、そんな風に思って、願いを叶えようとします。

 

しかし、それは、そのように思い込んでいるだけです。叶えなければ、生まれてきた意味がないほどの願いは存在しません。すべて、自分の心の中に存在するだけなのです。叶っても、叶わなくても、どうでもいい願いと、いわゆる「本願」の違いはありません。どちらも、願いは願い。

あなたはあなたの真実を見つけるしかない

このへん、引き寄せとかだと、小さな願いを叶えるように、本願(大きな願い)についても、その重要性(ハードル)を低くして、叶えようなんてありますね。でも、どのように思おうが、願いは願いなのです。私たちにとって、願いというものは、叶うものは何をしなくても、叶うし、叶わなくていいものは、叶わないのです。

 

これで、すべて、万事解決です。そこに、叶わない説明や理由はいらないし、叶う理由と理論もいりません。なぜだか、わからないけれど、叶うものは叶うのです。

 

みんな願いを叶えるために、セミナーとか、本とか、効果のあるメソッドを期待しますが、それは、あくまでも当事者本人の体験から培ったやり方です。参考になる部分はあっても、そのすべてがあなたに合うわけではないし、合わせる必要もありません。

 

だから、その本に書いてある通りに実行して、うまくいかないことがあっても、当たり前のことなのです。だって、それは(そのメソッド)はあなたの体験から生まれたものではないから。最終的に、あなたは、あなたの真実を見つけるしか方法がありません。

 

仏教なんかだと、悟りを開いた人が最終的に、他人の書いた、お経の注釈書を捨てたというお話があります。それは、おそらく、所詮、他人は他人。自分は自分の解釈で、真実を見つけるしかないし、見つけたからこそ、他人の解釈を捨てたのだと、思います(このへん、悟ったことがないので、実際のところはわかりませんが)。

あなたの真実を見つけたら願いは叶うのか?

で、じゃあ、自分の方法を見つけられたら、願いが叶うのか、ってなると思いますが、「願いが叶うのか」っていう問いを持つ限り、叶ったり、叶わなかったりが永遠と繰り返されます。つまり、心の休まることがなくなり、永遠と、本当の幸せは何なのか、どうしたら、この願いが叶い、苦しみから抜け出せるのかって悩み続けることになります。

 

だからこそ、前回の記事に書いたとおり、スピリチュアルは通り過ぎなくてはならないのです。願望が実現する、しないの道も、できるだけ、早く抜けることです。願望をもつことはもちろん、いいんですよ。人間の癖みたいなものですから。実現を諦める必要もありません。

 

でも、「どうしたら・・・?」っていう問いは、あまり、深く考えないで、放っておいた方がいいでしょう。考えて、見つけた(と思った)としても、結局、納得できなくて、また、考え出してしまうからです。

願望とは本当はどうでもいいもの

悟り系でも、引き寄せ系でも、「達人」と言われる人たちは、願望実現する、しないについて、正直言って、何を言っているのか、さっぱりわからないことがあります。悪くいうと、煙に巻かれた感じになるのは、それを言う人たちが、願望なんてものは、本当にどうでもいいもの。取るに足りないものと思っているからです。

 

そもそもの視点が初めから違うのです。でも、彼らの言いたいことは、シンプルです。「願望なんて、放っておいて、今起きてくることを楽しもうよ」っていう、この一言に尽きるのです。

 

今起きてくることに、楽しみを見つけられる方が、より人生を満喫できることを知っているからです。だから、本もセミナーも、このブログを含むすべてのサイトも、あなたの真実ではありません。「これがいい」っていうものがあったとしても、たぶん、役には立たないでしょう。

 

でも、なぜ、そういう本やセミナーやサイトがあるのか?それは、誤解を恐れずに言うのなら、それら(このブログも)が「あなたの役には立たないこと」を知るためだから、かもしれません。自己満足の部分が大半で、役には立たない。それでも、表現したい・・・。そんな世界の織りなす絶妙なバランスが、結果的に、どこかで、だれかの役に立つかもしれないというパラドックス・・・。

 

そんなパラドックスを信じて、このブログも役には立ちませんが、飽きるまで綴ってみようと思っています。

追記

2018年11月25日 追記

願いについては、「あなたが本当に望むものなら叶う」っていうのが私のスタンスです。つまり、本音の願いってことですね。ただ、この本音っていうのは、生活してる中で身につくいろんなしがらみや無意識につけてる条件とかが邪魔をして、本人もよくわかっていない場合がほとんどです。

 

今考えている願いが「こうじゃなくちゃいけない」っていう条件をつけていないかどうか、もう一度、本音(=心地よい感覚、正直な気持ち)で探ってみてください。本音に気づけたら、叶えるための行動も含めて、世界は都合よく、自然に回っていきます。本当は、初めから都合よく回っていたことに気づくだけなのですけれど。

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