個性は「ブロック」を持っていてこそ
あるヒーリング講座での体験
もう10年以上も前の話になりますが、当時、私は、あるヒーリングを学んでいました。
今では、もう、そのやり方は、ほとんど覚えていません。確か、願望実現の妨げになっている、自分の心の中にある「ブロック」を外すのがメインの、ヒーリングだったと思います。
そのヒーリングによれば、叶えたい夢があるのに実現しない場合、当事者が抱えるいくつかの要因があると言います。
遺伝子的に刻み込まれたもの、幼少期の体験(トラウマなど)や、生まれる前の記憶(前世など)。あるいは、体に取り込まれたウィルス的なものまで。
直感とヒアリングによって、願望実現を阻害する原因を特定し、ヒーリングによって、それを取り除く。すると、人生がうまくいく。大まかな概要はそんな感じです。
「で、そのヒーリングで、何か、願望は実現したの?」って問われると、「わかりません」としか言えません。ただ、私の場合、いわゆる「ヒーラーを生業にしたい」という当時の願望は、実現したと思います(すぐに廃業し、持続はしませんでしたけど)。
「そのブロック、外されたくないの」
ところで、そのヒーリングは講座として開かれていて、他の生徒さんも何人かいたんですよ。
私以外、全員、女性でした。当時、私は、女性の中にいるのが苦手な人間でしたが、その講座では、みなさんとフツウにお話ができて、心地良かったのを覚えています。
「新しい人生を切り開きたい」っていう、共通の想いがあったからなのかもしれません。
そのうち、何人かの方と仲良くなり、お互いにヒーリングを施しあう仲間ができました。その仲間の一人に、対面でヒーリングを施していた時のことです。
その方は、まだお若い方でしたが、早くに旦那様を亡くされていました。亡くなって、随分、経つのだけれど、義理の両親に配慮して、旦那様の実家で暮らしているというのです。
「そろそろ、自分の家に帰って、再出発してもいいんじゃないか…」ていう悩みを持っていたようです。
いろいろヒアリングとヒーリングをしていってみると、なんだか、顔がどんどん曇っていくんですよ。私も、小心ものですから、つい気になって、
「あの、私のヒーリング、全然だめですかね?」って聞いたら、その方は、ちょっとバツが悪そうに、軽く笑いながら首を横に振るのです。
「ううん、違うの。その逆よ。リュウタのヒーリング、とってもいいわ。言われることが全部、図星でさ。でもね、あたし、気づいたのよ。これ(悩みの要因となっているブロック)、今は、外されたくないんだって」と。
実現を阻むものが分かっていて、取り除けば、実現できるかもしれないのに、それをしたくない…。その時は、一瞬ですけど、混乱しました、正直。きっと、その方も、自身の矛盾に、同じ想いを抱えていたんじゃないかと思います。
それって、実は、「個性」なんじゃない?
でも、その時、なんとなくですけど、わかったんですよ。「ああ、そうなんだ、『悩み』って、その人を形作っていく大事なものでもあるんだな」って。
その悩みがあることによって、その人らしさが浮かび上がり、その人が通らなくてはならない道へと導かれていく。なんでも、かんでも、外していけばいいってもんじゃない。
この時の体験で、「ブロックを外すタイミングは、悩んでいる本人がよく知っている」「いや、生涯持っていることで、達成できる何かがあるのかもしれない。」という、新たな視点を見せてもらったような気がしました。
「じゃあ、ヒーリングする意味ってなに?」
この「大いなる」矛盾こそ、ヒーリング以外の可能性に目を向け始めた、出発点だったかもしれません。この時は、まだ、意識には上っていませんでしたが…。
悩みも、「もしかしたら、『好き』とは言わないまでも、自分らしさを出すため、自分しかない、何かを実現するために、あるのではないか?」
という視点があると、また、違った道、あるいは、人生観が芽生えてくるかもしれません。
そもそも、悩みは本当に、悩んでいるのか?いや、それは、本当は、悩みではなく、「個性」と言うべきものなのかもしれません…。
ところで、当時のヒーリング仲間とは、それから半年ぐらい交流をした後、みな、疎遠になりました。たぶん、進む道がそれぞれ、違っていたんだと思います。
あれから、10年。ホント、時の経つのって、早いです。みんな、穏やかに、笑って暮らしているといいなあ。