個性って、誰のための「個性」?

「個性的」って、本当に望まれてる?

もう9月になっちゃいましたね。自分の中では、9月に入ったら、1年はもう終わりです。あとの3ヶ月なんて、あっという間なので。「今年の紅白は、どうなるのかな?」なんて、想像してますよ。

 

今月は、15日出勤です。月の半分だけ働けばいいんだと思うと、ものすごく気が楽です。ありがたい。残りの半分は何しようかな。まあ、多分、何にもしないで、1日が過ぎるとは思うけど。

 

ところで、今日は、ちょっと、「個性」っていうものに思うことがあったので、ちょっと書いてみます。最近は、なんか、「個性的」っていうのが、ちょっと、流行りのような気がする。

 

ただ、この「個性」って、なんなのだろうなあ、って思うんですよ。広辞苑で引いてみたら、「個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。」ってあります。

 

そうだ、「個性を伸ばす」っていう言葉を頻繁に聞く。空気を読んで、周りとおんなじ様に動いていくのが、なんとなく、よしとされるこの国で、本当に「個性的」って望まれてるのかなあって、思うんだ。

 

だって、みんな「人とちがうこと」をよしとしてくれるなら、いじめとか、パワハラとか、なくなるわけじゃない?私なんて、どうです?(って、誰も、わからないですよね)。

 

1人だけ、週4日のパートになっちゃったら、急によそよそしくなっちゃったり、陰口叩き出す人も出てきたりして。。。1人だけ、ちがうことやっちゃったら、このざまですよ。個性なんか、少なくとも、自分が勤めてる会社では、歓迎されてないみたいですよ(これは、「個性」じゃないか!笑)。

 

まあ、私は、そういうのを、どこか、楽しんでる節はあるのですが。最近言われてる「個性」って、どこか、経済的なものが多分に含まれてる気がするんですよね。個性を出せば、人とちがうアイディアを出せて、なんか、競争相手に勝てる、差をつけられる、そっちの方に重点が置かれてる気がするんですよ。

悩むなら個性なんていらない

つまり、企業的に言えば、会社の言いなりにはなって欲しいけど、他社とはちがう、個性的な(儲かる)アイディアを出してね、って感じ。これって、やっぱ、矛盾してると思うんだ。個性を出してほしけりゃ、「周りの空気なんか、読むな!」それぐらいのこと、言って欲しいですね。学校も、企業も、そして、家庭でも。

 

で、ここからが、本題。その「個性的」って、そんなに重要かなあ?っていうのが、いつも思っていること。上で見たような、個性は、完全に、自分ではない誰かの都合に良い「個性」だと思うし、そもそも、人から、「個性的であれ」なんて言われても、大きなお世話ですよ。

 

だから、「個性的」なんて言われちゃうと、今度は、「人とちがうことを持たなきゃ」なんて、悩む人が出てくる。人に定義づけられたものに悩むぐらいなら、個性なんて持たなくていいですよ。

 

人とおんなじことやって、心底、静かに、心穏やかに、暮らせるなら、ひっそり、カモフラージュしながら、目立たないようにしていた方がとっても気が楽です。

 

これは、前にも書いたけど、「好きなことを探す」っていうのと一緒です。「好きなことを持っているのがいい、だから、好きなこと見つけなきゃ」っていう件。「好きなこと」を「個性」に置き換えたら、全くおんなじ論理が出来上がってしまう。

 

個性なんて、探したってみつからないですよ。それに、見つかったって、大したもんじゃない。自分は、至って「フツウ」なのに、会社じゃ「変人扱い」されるおまけが付いてきちゃいますからね(もちろん、「そりゃあ、お前だけ」っていうツッコミは否めませんけれども)。

好き嫌いの結果が個性につながる

それは、ともかく、繰り返しになるけど、個性って、そんな大したものじゃないですよ。自分が心地よく「好きか、嫌いか」をなんとなくでいいから、つかんでいて、その心地いい方に進んでいける、舵をきれること、ぐらいのものなんじゃないかな。

 

好きか嫌いかがはっきりしてる人は、結果的に「個性的」って言われてると思うし、やっぱり、面白い人もいる。でも、その個性を真似る必要はないし、無理して探したり、無理して持つものでもない。

 

昔、個性の正反対にあるような、「八方美人」っていうのがあんまり、好きじゃなかった。実は、自分がそうだったから。首尾一貫が格好いいとおもってた。でもね、「首尾一貫してなきゃ」って思った途端に苦しくなる。

 

それなら、その場だけ、テキトーに人に話し合わせて、気持ちよく帰ってもらった方が、楽ですよ。だって、みんな、人の話を聞くより、自分が話すことに一生懸命なんだっていうことが、わかったから(笑)。

 

自分の好きと嫌いをしっかり知っている。それさえ、できていれば、その場だけのお話なんて、どうでもいいことです。いつ、誰が決めたのかもしれない、個性や好きなことの定義よりも、自分の「心地いい」の方が確かなものです。そして、それを前面に出す必要もない。

 

あんまり、ブログには書いていないけど、私の勤める会社には、みんなと同じように振る舞えて、個性をださずに、いつも、低頭平身、誰にでも、ニコニコしている先輩がいます。

 

いつも、会社に対して敵対心剥き出しの私には、とてもマネできない人です。正直、その人が何を考えているのかも、全然読めない。マジな愚痴をあんまり聞いたことがないので。

 

本当に、すごい人だと思っています。そういう方を見るとき、個性とか、好きなこと、っていうのが絶対なのか?と考えさせられます。

 

アマちゃんの私は、まだまだ、この会社で学ぶことが多いのかもしれないな。

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