今、この瞬間を心地よいほうに向かうだけ
神社で願い事をしてもいいと思うようになった
昨日は、遅ればせながら初詣に行って参りました。例年、家族との参拝で、今年も無事に果たせたことをうれしく思いました。ちょっと前まで、神社では「お礼を述べるところで、願い事をするところではない」なんて思っていたし、このブログでも書いたかもしれません。
でも、今は、考えが変わっています。「神社で願い事をしてもいいじゃないの」と。私も今年は、いろいろ、起きて欲しいなと思うことを願ってきました。
叶ってもいいし、叶わなくてもいい。
要するに、どっちでもいいっていうスタンスなら、好きなようにやればいいのです。「叶わなくちゃいけない」って思ってるから、いろいろ作法とか、ああだ、こうだ、気にして逆に、窮屈な人生になってしまう。
叶うものも叶わなくなりますよ。適度なバランスと、節度をもって生きていれば、細かいことは気にしなくて良いのです。
「願いが叶う=善」という前提を外す
そもそも論として、「その願いが叶うこと」=「完璧でよい人生」という方程式がほとんどの人の大前提となっています。もちろん、想ったことが叶うのは、気持ち良いので、悪ではありません。
しかし、ほんの少しでも、想いを馳せられたら、とても楽で穏やかな生き方ができますよ。「そもそも、叶うことが善で、叶わないことが悪なのか?」と。それを頭の隅に入れた上で、改めて、自分の本心、本音でもって、願いを持ちましょう。
個人的な経験としては、パワースポットとか、作法とか、精神的な世界から少し距離をおき、興味が薄れてきたころに、いろいろと動きが出てくるようになりました。
人生は心地よいほうに向かうだけ
プロフィールのキャッチフレーズにもしていますが、人生というものに極度にのめり込まないこと。このスタンスでいくと、要所要所で、適切な選択が可能となります。それも自然に。
いろいろ、説明っぽくなっちゃいましたけれど、本来、人生に説明はいらない、ですね。瞬間、瞬間、心地よいと感じる方に向かうだけです。それで、十分なのです。
初詣は、30分ほどの滞在でした。その間、新成人が晴れ着姿でキャピキャピおみくじ引いてるのを見たり、拝殿で熱心にお祈りしている人たちを見かけました。「そうだよね、あれで、いいんだよね」なんて、一人、わかったふりをしながら、鳥居をくぐって外に出ました。
昔は「もっと、このパワーをもらわなくちゃ・・・」なんて、無理に、長居して、周りを見る余裕もありませんでした。たぶん、神様もご迷惑だったことでしょう(笑)。
帰りに、ファミレス寄って、美味しいものを食べて、たわいもない話をして、家路につきました。とてもよい1日を過ごすことができました。