自分を肯定できたらスピリチュアルはおしまい

スピリチュアルにはまったが変わらなかった

昨今は大変なスピリチュアルブームですね。パワースポット巡りとか、自己啓発、願望実現法など、書店でも昔では考えられないくらい多くの本が並ぶようになりました。今が不景気とか、そんな時節は関係なしに、いつの時代でも、お金は増やしたいし、悩みを解消して楽に生きていきたい。極々自然な人間の欲求です。

 

ご多分に漏れず、私もその一人。ちょっと前まで、スピリチュアルセミナーとか、個人セッションとか、いろんなものを受け、本もそれなりに読みました。最後に受けた個人セッションなんかは、割と効果があった感じだったので、2年ぐらい同じ方のセッションを受けました。

 

でも、なかなか、自分の望むような結果が出なくて、ちょっと依存的な状態になってしまい、そんな自分に悩みました。なんだか、自立できていないような気がして。「この1回で終わりにしよう」「今日、これで全面解決しなかったら、もう行かない」そんなことの繰り返しで、なかなか、決断ができなかったのですが、あるとき、おもったんですよ。

 

私たちは勝手に悩んでいるだけ

悩みなんてのは、勝手に悩んでいるだけ。自分の今の状態を受け入れることができたら、もう、それでいいんだ。なにかが起きても、とりあえず、行動をするという選択と、もうひとつは、なにもしないで放っておくという選択肢がある。たぶん、どちらかしかない。

 

で、とりあえず放っておいて、どうしても何かしないといけない状況になったら、自然に行動を起こすだろう。それまでは、今の状況を傍観していてもいいんじゃないか。そう思うようになりました。そりゃ、もちろん、いろんな感情や思考もでてくるのだけれど、それさえも放っておく。

 

すると、面白いことに、本当に状況がどうでもよくなってきて、「とりあえず、悩むのはその時だけだし、なにか別のことをしている時は忘れている。それならその時だけ、適当に受け流しちゃえ」と思えるのです。

 

今の状況を受け入れられた時にスピリチュアルの役目は終わる

 

最終的に、放っておいたものはうまくいっていることが多いし、自然に行動を起こしたものも、ほぼ、うまくいくようになりました。セミナーとか、精神世界の本とかも、結局のところ、「自分の今の状況を受け入れることができれば、もう心配いらないよ。あとは、好きなことして生きなよ」

 

それが最終目標なんじゃないでしょうか。ただ、あまりにもシンプルすぎて、そのことに気づけない。スピリチュアルって、けっこう楽しかったりする。いろんな気づきや発見が新鮮に思えるから。ただ、あまり、のめりこみすぎると、いつのまにかその世界に自身が囚われて自由な考えができなくなってしまいます。

 

自分自身を肯定する材料として利用する、「ああ、こういう状況の時は、こういう風に考えると楽しいかな」というように、ほどほどに楽しむぐらいがちょうどよいと思います。うまくまとまりませんでしたが、スピリチュアルはあまりのめり込まないでおくとうまくいく、という体験談でした(笑)

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