無関心で世界が変わる
嫌いも好きのうち
人は、なにかの願いを叶えることより、自身が抱える不快なものを取り除くことのほうに、関心をもつと聞いたことがあります。これは、おそらく、その通りで、私自身も、不快なことが気にならなくなった頃から自分らしさが出てくるようになりました。
「じゃあ、どうすれば、不快なことを除けますか、気にならなくなりますか?」となると思いますが、これは、その不快なことに対して、無関心でいることが一番です。
このブログでは、「放っておく」と言い続けていますが、これを別の言葉でいえば、無関心でいることです。よく、「嫌いも好きのうち」っていうじゃないですか。まさに、あれなんですよ。
本当に嫌いなら無関心が最強
いやがらせやいじめを受けた身としての経験ですが、みんな、対象者が反応するのが楽しいんですよ。怒ったり、悲しんだり、強がってみたり、とにかく、なんか、反応してほしいのです。
こちらも、不快なことはやめてほしいから、なんとか、いろんな対策を考え、にらみつけたり、脅しを考えたり、いろいろやってみようと思うわけです。嫌いな人たちのはずなのに、なぜか、気になってしまう。
認めたくないでしょうけれど、これは、そこに関心がある(=好き)ってことなんですよ。だって、関わり合いたいって言ってるのと一緒なのですから。
無関心で世界が変わってくる
なので、私は、放っておく=無関心でいることを貫きました。すると、相手(=外の現象)は変わりませんが、自分が変わっていきます。はじめは、いろいろ、強がったりしてしまうでしょう。それで、いいのです。
何回も、何回も、ちょっかいをだされても、そこには、誰もいないように振舞ってみる。すると、ある時を境に、向こうがイライラしていることに気づきます。つまり、反応してくれないので、つまらない、というわけです。
まあ、余談ですが、嫌がらせをする人っていうのは、根本的に、幸せであるはずがありません。
さらに、そこを通りすぎると、自分がどう反応しても、かまわない、という余裕というか、静かな気持ちというか、そういうのが強まって、本当に無関心になることができます。すると、そのうち、現象が変わります。これは、ぜひ、試してほしいです。もし、あなたに不快な人とか、物事があったなら。
ただし、離れられるのなら、すぐに離れることが肝要です。決して、不快を我慢しろってことじゃないです。無駄なエネルギーを消耗しないためにも。
不快は認めつつ、おつきあいするのはあなたの自由
私は、「無関心な人」には、顔を向けませんし、目も合わせません。とにかく、自分の視界(世界)には入れませんよ。彼らの存在は認めますが、お付き合いはしたくありません。お付き合いをしないとは、嫌いになることじゃなくて、無関心でいることなのです。
これは、男女関係も一緒ですよね?本当は嫌いなのに、一々、反応してたら、好きって誤解されちゃうこと、あるじゃないですか。そのうち、自分自身も「あれ?私、本当は、この人のこと、好きなんじゃないかしら?」なんて、本気で思い込んじゃうことだってあります。
これは、人だけではなくて、いろんな気になること、不快なことにも応用できます。反応するなら、あなたは、その人が(その対象が)好きなんです。だから、構って欲しいのです。そうじゃないのなら、嫌いになるんじゃなくて、かまわないことです。無関心でいてあげてください。あなたのために、そして、相手のためにも。
心地よい世界を作り上げる上で、かまうべきもの、関心を注ぐべきは、あなたが気持ちよくいられるもの、そして、気持ちよくいられる人です。