希望はすっ飛ばして、今望む状態になってしまえばいい
「体調不良」という手段を使って休みをもらった
みなさま、新年あけましておめでとうございます。穏やかな1年の幕開けになったこと、心より願っております。私は、大晦日まで仕事をしておりました。実は、元旦、本日と、仕事の予定だったのですが、体調を崩してしまいまして、お休みを頂きました。
体調自体は、そんなに悪くなく、予想外にお休みが手に入ったので、家族との団欒を楽しみ、のんびりと過ごすことができました。ここ、3年ぐらいは年末、年始とも仕事で、今年も例年通りのはずでした。
しかし、「今年は、お正月くらい、ゆっくりしたいなあ」と思っていたところ、引き寄せが炸裂し、見事、体調不良という手段を使って、お休みをゲットできました(嘘です!)。
冗談はともかく、仕事でも、プライベートでも、無理はしないことにしています。休みたい時には、休む。最近は、このポリシーを貫いています。そちらのほうが、仕事も長続きするものです。
まじめに、人の顔色ばっかり伺ってきた人、周囲に合わせてきた方は、ぜひ、自分中心に物事を考えていきましょう。そのように決めれば、そのように、世界が動いていきますよ。
希望、感動、夢を言い続けるTV番組に違和感を覚えた
ところで、今日は、家族で、大晦日に録画しておいた紅白歌合戦を見ていたんですよ。「夢を歌おう」というテーマに即して、歌手の皆さんは、夢の応援、希望を持つことの大切さや楽しさを、その美しい歌声に乗せて、お茶の間に届けていました。
数年前まで、失意ばっかり抱いていた私は、希望を与える歌詞、応援メッセージをきれいに、力強く歌いあげる歌手に感動していました。「よし、来年も頑張らなきゃ!」って。
しかし、ここ数年は、それがないばかりでなく、希望、感動、夢とかを言い続ける歌詞や司会進行をちょっと、遠くで眺める感覚が続いています。まあ、もうちょっと、強く言うと、違和感を感じています。
私は、ちょっと、世の中をうがった見方をすることもあるので、その癖で、夢とか、希望とかを嘘くさく感じているのかなと思ったこともあります。
でも、どうやら、そうではなくて、「夢とか、希望をわざわざ持たなくても、今すぐに、そういう風に、生きちゃえばいいんじゃない?」っていう、なかば、冷えた見方をしている自分がいることに気がつきました(やっぱり、うがった見方じゃないか!)。
スピリチュアルなんかでいうと、「不足の状態から、満ち足りた状態になるのではなく、今、すぐそうなりなさい」って言いいます。スターウォーズに登場するヨーダの言葉を借りれば、「やってみるのではない、ただ、やるか、やらないか、だ!」というところでしょうか。
希望がなくても望む状態になれる
私たちは、希望、夢とかっていうと、「今はないけれど、希望をもって、頑張って、望むものを得ようね」っていうイメージを抱いています。しかし、案外、希望というワンステップは踏まずに、すぐに、望む状態に移行できるものです。
それは、実に簡単です。そのような感覚になれば、そのようになれるからです。私たちは周囲がそのような状態になってはじめて、望む状態に移行したんだ、って判断します。
しかし、周囲は関係ないのです。そう思えたら、もう、そのようになったのです。そのうち、周りの状況も、変化していくはずです。願望は意図せよ、っていうのは、たぶん、そういうことだと思います。端的に言うと、「そのように決めてしまうこと」でしょう。
「こうなろう!」と決めて待っていればいい
私たちは、望んでから、結果が出るまで、とても長い時間がかかっているように見えます。でも、かかっているように見えるだけなのです。人間の、時間の感覚なんて、あてにならないじゃないですか。
「ついこの間、正月、迎えたっばかりだよなあ、速いなあ、アハハハ」なんて言えるのですから、そもそも、時間があるのかどうかも、あやしいですね。
まあ、ごちゃごちゃ、考えないで、「こうなろう!」って決めて、とりあえず、待っていればいいんじゃないの?という、アバウトなことを考えながら、紅白を楽しんでいました。でも、希望、夢、感動があるから、世の中、面白いのかもしれません、やっぱり。実に、どうでもよい結論を導き出しながら、新年最初の記事を終えたいと思います。
どうぞ、今年も、こんないい加減なブログでよければ、おつきあいくださいませ。よろしくお願いいたします。すてきな1年になりますように!