不完全こそ完全

世の中不完全なことだらけ

生きていると、世の中のこと、他人のこと、そして、自分自身のこと。いろんなアラが目立つことは多いでしょう。特に、物事を完璧に、こなしたい人にとっては。しかし、よくよく観察してみると、いや、観察しなくても、世の中って、不完全なことだらけです。

 

世の中の出来事をちょっと、見てみれば、様々な不祥事が目につくし、テレビや新聞を見るまでもなく、職場を覗いてみれば、テキトーな上司のまあ、なんと多いことでしょう。「オマエが私の仕事を評価するんじゃねぇ!」なんて人は、ざらじゃないですか。

 

真面目に考える人ほど、損な役割を演じ、「自分はしっかりしなくちゃいけない」なんて深刻になってしまいます。

 

ところが、世の中のシステムの方こそ、完璧に見えて、実は、意外とアバウトというか、不完全なことのほうが多いのです。じゃなきゃ、先に述べた不祥事なんか、次から次へと出てこないし、人間的にどうかと思う、上司なんかも出てきやしません。

完璧でないことに気づいたら自分にも世界にも寛容になれる

ここで、私たちは、こういう世の中を憂うのが得意というか、憂えているほうが、自分は正しい、なんて思うことができます。しかし、そういう自分を振り返れば、また、未熟であったり、どうしようもない部分も多々あるわけです(「自分はそんなことない」っていう人がいらしたら、ごめんなさい)。

 

で、私たちは、なんとか、そういう不完全さを、完全に変えるべく、奮励努力します。ところが、突き詰めれば突き詰めるほど、世の中にも、人間にも、完璧というものはない、というところに、どこかで気づきます。

 

そこに気づいたら、初めは悩んでも、やがて、穏やかな、気持ちになれる日がやってきます。はじめから、不完全であるのなら、もはや、完璧である必要はないからです。他人にも、世の中にも、寛容な心持ちで、接することができるようになるでしょう。そして、自分にも。

あなたの理想が正しいかどうかはわからない

自分が「こうなりたい」というイメージは、きっと誰もが掲げていて、そうなるよう、いろいろ試したり、努力していることでしょう。失敗して、「ああすれば、よかった、こすればよかった・・・」なんて考えて、後悔しているかもしれません。でも、自分の描いたそのイメージ(理想)が、正しいかどうかは、また、別の問題です。

 

あまり、イメージ通りになることには、こだわらず、そのイメージ通りにしようとすると苦しくなるのなら、心が軽くなるほうに舵をとり、その結果を快く受け入れていく。そんな生き方のほうが、たぶん、あなたらしくなるんじゃないかと思います。

 

そんな道のりの途中で、もしかしたら、なにか、やりたいこと、やりたいことでなくても、「これは、なんか、やらなくちゃいけないものかもしれない」という奥底から湧いてくるものが、出てくるかもしれません。なければ、ないで、心穏やかに、無理なく生きていけばよいのです。

 

かくして、世の中はなにも変わらないのに、そして、自分も何も変わらないのに、なにか、スムーズに流れていくような感覚になります。別に、なにも、成し遂げていないのに。

 

もちろん、世の中は不完全で、自分も不完全なので、これからだって、いろいろ、起きるのです。それでも、きっと、悲観することなく、ただ淡々と、物事を進めていくことができるでしょう。

 

自分が変わらなくても、なにも問題はありません。世の中が変わらなくても、大丈夫です。いったい、全体、問題を問題として見ているのは、誰なのか。不完全を不完全として見ているのは、誰なのか。問題があるとすれば、たぶん、そこだけなのです。

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