メソッドから離れる方法とは?
癒しに使うお金と時間がもったいないと思った
人は、苦しみや不快が続くと、そこから逃れたくて、自然に、いろんなことを考え、いろんな解決策を模索します。あるいは、なにもしたくなくなることもあるでしょう。
仮に、なにもしていなくても、みんな、「ここ(苦しみ)から抜け出したい、なんとかしたい」と思っています。私も、いろんなメソッドとか、ヒーラーさんとかを訪ねて、なんとか、その苦しみから抜けだす方法を教えてほしい、この苦しみを取ってほしい、と思ってきました。
しかし、その期待が強すぎたためか、はたまた、私の「完璧によくならなくちゃダメだ!」というこだわりのためか、「良くはなっているが、どうも、心が安定しない、あと一歩のところの癒しが終わっていない!」といつも不安と不満に苛まれていました。
そのうちに、こんな風に思ったんですね。
「この苦しみと不安を取るために使う、お金と時間・・・。なんか、もったいないし、一々、癒しだけのために出かけていくのも面倒くさいなあ」と。一言で言うと、飽きてきちゃったんですね。まだまだ、感情とか、思考も、きちんと整っていない、周りも芳しくない状況が続いてるって思っていた頃です。
で、徐々に、ヒーラーさんのところに行く回数を減らし、ひきこもりの状態から脱して、仕事がみつかり、「この仕事でなんとか、やってけそうだ」と思った時点で、完全に行くのをやめました。あとは、自分の気づきを実践したり、運動したりで、不満や不安をごまかしながら過ごしていました。
「心なんてどうにもならない」と気づく
その期間というのは、心の状態は上がったり、下がったり。相変わらず、安定はしていませんでした。私は完璧でないと我慢ができない性分ではあったのですが、同時に、面倒くさがり、でもありました。上がったり、下がったりする心に一喜一憂する自分になんか、嫌気がさしてきたのです。
「こりゃあ、もう、心なんて、自分じゃあ、どうにもならないんじゃないの?」
それから、です。嫌がらせをしてきた人を放っておくのと同じように、不快なことを感じたり、言ったりする心も放っておくようになったのは。もちろん、初めは、「がんばった」のですが、そのうち、仕事と同じで、何度も意識していると、慣れてくるんでしょうね。自然に放っておけるようになりました。
そう、大事なのは何度でも意識することです。そのあとは、気づきが多くなって、ようやっと、昔よりは、穏やかな気持ちで過ごせることが多くなった次第です。
メソッドから離れるにはメソッドをとことんやるしかない!
今振り返ってみると、不快から逃れるための解決方法やメソッドをとことんまでやるのは悪いことではなく、通らなくてはいけない道だと思います。で、そのうち、気づかせてくれます。「やっても、どうにもならないものがある」「メソッドは自分を救ってくれない」と。
このように納得できたら、ここからが、新たなスタートです。スタートでありながら、ゴールでもあります。いや、ゴールでもありながら、スタートか?まあ、どっちでもいいんですけれど、とにかく、問題(だと勝手に思ってる)の解決にこだわることが薄れていきます。
解決にこだわることがなくなるとは、つまり、それは、あなたの中で問題ではなくなったということです。そのうち、周囲の状況も変わっていくかもしれません。かくして、人は、感情と思考をもちながらも、「まわりが変わらない」だの、「私の人生どうなる?」だのが気にならなくなってきます。
「ぼーっと生きてんじゃねぇよ!」って言われても、そんなにムカつかなくなるかもしれません。(ちなみに、この某番組、楽しみにみてます)。まあ、時には、苦しかったりすることもあるでしょう。でも、問題ではないのだから、大いに悩めばいいし、悩んでも、その状況もやがて変化することがわかってきます。
そう、だから、世界はシンプルだなんて、なんとなく、わかったフリをすることができるようになります。
なので、ここで言いたかったことは、メソッドとか、問題とか、大いにこだわってもいいってこと。やがて、面倒くさくなるか、「自分には、なにもできない」ことがわかってきます。そうしたら、きっと、以前より、世界が面白くなるはずです。
メソッドからは、いつか、離れるしかないのですが、それには、とことん、こだわらなくてはならない。それが王道かもしれません。