悩みのループから抜け出すために大切なこと

起きたことに深い意味を与えない

生きていると、世の中には、そういう理不尽だと思えることがたくさんあります。私は、未だに、なぜ、自分が近所のイケスカナイお爺さんに嫌がらせされなければならなかったのか、納得がいっていません。近所での評判も落とされたし、散々でした!

 

「お前は、こっちが挨拶しても挨拶しないから、これからは、一切、関わりをもたないんだ」っていうのを相手に分からせるために、顔を合わせても、挨拶しなかっただけなのですから。(それだけで、十分、理由になっている!)

 

スピリチュアルをかじると、「嫌いな人にも、愛でもって接することを知るための学びだったのですよ」っていう、実に、気にくわない説明をされることがあります。たしかに、それは、真っ当な意見であり、もっと、人間ができていれば、私だって、始めからそうしていたと思います。

 

しかし・・・こちとら、恨みも、憎しみも、もっている普通の人間だい!気にくわない奴は、気にくわないのだ!・・・って思って、まあ、悩みを深めていくのです。

 

だいたい、悩みなんていうのは、自分の正義とか、相手の言い分、人生の学び・・・いろんなことを考え、自分が悪い、相手が悪い、環境が悪い、はたまた、前世の悪縁・・・と、実に複雑にして抜け出せなくなるもの。最終的にわけがわからなくなるものです。

 

この複雑なループから抜け出すには、そういう、起きた理由とか、自分が置かれている立場とか、環境とか、「なぜ、そうなったのか?」に深い意味を与えないことです。

 

冒頭にあげたイケスカナイお爺さんは、顔もみたくない存在でした。向こうもそれがわかっていて、毎日、そのイケスカナイ顔を見せんばかりの勢いで嫌がらせをしてきたのものです。

 

ですが、人間、毎日、毎日、同じことをされてくると、(かつ冷静でいると)、その環境に慣れが生じてきます。つまり、「この人はこういう人で、ただ、そのように動く、プログラムされた機械みたいなもの。それが嫌がらせかどうかを決めるのは、自分自身ではないか」と、ふと、思うようになりました。

 

余談ですが、ふと、思うことって大事ですね。そのように無理やり思うこととは、ちょっと次元が違うような気がします。無理やり思っても、結局、悩みのループにハマるのがオチなので。だから、あまり期待しないで浮かんだ、アイディアって、けっこう助けてくれることが多いです。

 

話をもとに戻しますが、そのように、ふと、思ったところあたりから、嫌がらせの変容は始まったような気がします。起きた現象に、あまり、深い意味を与えない、それは、そういうものなのだ。嫌がらせが起きるたびに、少しだけ、そのように考え、あとは放っておく。

 

これは嫌がらせ対処だけでなく、職場で起きた、他のトラブルにも応用できました。おかげで、比較的、現象を引きずることなく、速やかに軌道修正を図ることが可能となりました。

性格もコンプレックスも過去も「それはそういうものなのだ」

なので、気にくわない現象が起きた時に、私がおススメするのは、「それは、そういうものなのだ」って、ちょっとだけでも考えてみること。そして、あとは、放っておく。そうすれば、割と、楽な生き方ができるようになり、現象に一喜一憂することも、減少していくのではないかと思います。

 

さらに、続けていくと、やがて、自分の性格とか、コンプレックスとか、「なぜ、自分はあそこで、ああいう選択をして、こういう人生になっちまったのだ!」とかいうのも、

 

「そういうものなのだ」っていう、諦めとか、自嘲・自虐ではない、穏やかな意識でもって、肯定できる、なにかを感じられるようになるでしょう。その過程で、もしかしたら、現象が変わっていくことも、あるかもしれません。

 

いずれにしても、起きた現象に、なにか特別な意義とか、意味を与えることよりも、今できること、今できないこと、今やりたくないこと、今やりたいこと・・・こちらを考えることの方が、たぶん、自分らしい時間を過ごせるのではないか、と思います。(っていうか、それだけだと思う)

 

こうして、悩みは、悩みのまま、気にくわないものは、気にくわないまま、依然として存在し続けます。しかし、あなたは、それらを変える必要のない、穏やかな、なにかを感じることができるのです。

 

Follow me!