「幸せとはなにか?」と考える環境から遠ざかる

「幸せって何?」って考えるのは環境のせい

今、特にTwitterなんかを拝見すると、「幸福とはなにか?」って考える人がとても多いんだなって感じます。

 

物理的には満たされている人も、どこか、「これでいいのか」みたいに、迷っていたり、悩んでいるんだなっていうのを、時々感じることもあります。

 

でも、人間、「この道でいいのか」とか「あいつ、嫌い」とかっていうのは生きていれば、誰でも、考えるもの。それも、勝手にふと、思ったり感じたりするものじゃないですか、その時々の環境によって。

 

ちょっと、悲しい映画やドラマを見てれば、ふと、昔の自分の記憶が蘇ってくることはよくあることです。こういう(あまり読んでもためにならない)ブログを読むことだって、「そういえば、幸せってなんだろう?」って、考えなくてもいいことを考えるきっかけになってしまうこともあります。

 

私たちは、「幸せとなんだろう?」と自主的に考えているのではなくて、周りの人や状況によって、そのように考えさせられているとも言えます。

少しずつその環境から遠ざかる

だったら、極力、そのように思わせてしまう「なにか」から、少しでもいいから、遠ざかるってことをすればいいと思います。嫌いな人がいれば、物理的に無理なら、会っても目を合わせないぐらいはできます。そうやって、自分の視界から少しずつ外していけばいいんです。

 

怖いのが苦手な人は、わざわざ自分からお化け屋敷に行かないじゃないですか(私もお化け屋敷は嫌いなビビリです)。でも、なんか、みんな「行かないと、『怖がりさんだね!』なんて言われちゃう!」なんて思って、本心とは違うことやっちゃったりする。

 

会社で、あまり良い思いができないのはそういう暗黙の了解があるからなのかもしれません。でも、その暗黙の了解を破ると、意外と心地よい空間に変わったりすることがあります。

会社で嫌なことはやらないと決めた私

気の進まないことを(できるだけ)しない私は、会社のつまらない社内研修をいろんな方法でやらないで、乗り切っています。

 

上司や同僚がどう思おうと、ほとんど、気になりません。「自分の嫌なことはしない」っていう気持ちよさが、そんな体裁よりも勝ってしまうのです。もちろん、会社からの首切りも覚悟の上での所業ですが、今のところ、なんのお咎めもなくて、なんとかなっちゃうのです。

 

昔、心の底から向いていないし、絶対に働けないと思っていた会社勤めが(私の場合はちょっと特殊な職っていうのもありますが)それなりにこなしていけるようになっています、「嫌なことはやらないよ」って決めとくだけで。

 

そして、そういう嫌なことをやらないことで、実は、「幸せってなんだろう?」って考えることが減っていきました。

 

幸せになるためには、会社から独立だ、引っ越しだ、そのために、もっとお金を稼ぐんだ!って考えていた時期もあったけど(もちろん、そういう幸せもあります)、それだけでもないです、人の幸福って、本当に。

まとめ

話がちょっとずれちゃいましたが、わざわざ自分から、「幸せとはなんだろう?」って考える環境に飛び込まないようにしていくことが大事です。そして、それは、先ほども言いましたが、今ある自分の環境から、すぐにでもできます。

 

嫌いなことを少しずつ、避けていく。嫌いな人やコトやモノに、わざわざ自分から顔を向けないこと。そうすると、自分の中に、心地よさが広がり、気づけば、「あ、今、幸せかも」そんな瞬間が訪れるかもしれません。

 

そんなわけで、「幸福とはなにか?」と考える環境から遠ざかることが、結果的に、幸福につながる。最近、特に、強く感じることです。

 

余談ですけど、武術の達人も、わざわざ、自分の腕を試すために、暗がりの、なにか出そうな道を歩いたりしないんですよ。ちゃんと、明るく人通りの多い道を通って、無事、お家に帰ります。そして、明日も元気にお稽古ができる日々を過ごしていくのです。

 

もちろん、私は、達人じゃないので、知らぬ間に道に迷って、暗がりの道を通り、いつの間にか、誰かに囲まれて、正義のヒーローの出番を待つタイプ(?)

 

ヒーローが出る前の間、腕の良さそうな顔をして、もったいぶって刀を抜いて、隙を観て逃げるのはたぶん、得意です。なので、こんな奴の書く、ブログ、やっぱ読まないで、自分の幸せみつけましょうね、皆様!

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