「今を生きること」の真意(リュウタ版)

「今を生きる」っていうのはあなた個人の今の状態じゃない

スピリチュアル、特に、悟り系では「今を生きる」っていう言葉が使われます。

 

この「今」については、ネットとか、本とかでも、いろいろ解説してくださる方がたくさんいらっしゃいます。個人的には、「今をいきる」っていうのは、リュウタっていう名前をもった、一個人の人生の、今の状態を生きることではなくて、そういうのを脇に置いたときに感じるもの。それを「今」って表現するのかなって思っています。(ちょっと、わかりづらいですね・・・)

 

まあ、私は、あまり、議論とか、そういうのが得意ではないので、正直言って、定義なんか、どうでもいいです。早い話が、気弱なリュウタっていう人間が起こす、みっともないこととか、カッコつけたりすることとか。そういうのを「本当は、そういうことをして恥じたとしても、たいしたことじゃないんだよ」って放っておけたときに、感じる安らかさこそが私にとっての「今」です。

あなた個人という人生を放っておけたときに「今」を感じられる

この「今」を感じることは、決して難しいことではありません。とりあえず、私たちが感じる恥ずかしさとか、怒りとか、ネガティブなこととかは、感じて置いて、なにもしないで、放っておく。放っておくと、また、穏やかさ、安らかさが戻ってくる。その戻ってきた安らかさ、穏やかなものが、「今」なのですから。

 

これだけで、私たちは、「今」という瞬間に生きられるのです。この「今」で願望が叶うんだ、とか、そういう考えも、脇に置いておきましょう。はっきり言って、今を感じたとしても、叶わないです(!)。

 

叶わないけれど、物事はこちらのいいように進むことは増えてくると思います。そうやって、生き続けていくと、(一個人としての人生の不満はあるけれど)「別に、それでもいいんじゃないか」っていう穏やかなもの(感情とか思考)も湧き出てくるようになります。

 

そうすると、「別に、これが叶わなくてもいいし、代わりに、なにか、別のものが来てもいいや」っていう、アバウトな感覚に慣れてきます。このアバウトな感覚・・・、非常に大事なものです。人生に、好循環を生み出してくれます。他人にも、想定外なことでも、比較的、寛容になれますしね。

 

ちょっと話がずれますが、スピリチュアルって、あんまり、大層なことはしてくれないって思っといたほうがいいです。しかし、大真面目にやると、このどうでもいい、アバウトな感覚には、もっていってくれるかもしれません(大真面目にやると、そのうち、やってられなくなるので)。

 

今日も、なんだか、よくわからないブログになってしまいましたが、まとめに入ります。いつもどおり、一個人の人生にハマるよりも、ちょっと、それを脇に置いておければ、「今」っていう穏やかさ、安らかさを感じられるようになり、結果、それなりにいい人生を送れるのではないかっていうお話でした。

 

ちなみに、この「今」を感じるには、ヒマが大事です。あんまり、あくせく働いたり、忙しくしてしまうと、感じられなくなります。やはり、人生、なんでも、テキトーが一番なのです!(ちょっと、趣旨がずれた?)

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