別に意味なんてない

 

真面目な人ほど、起こった現象の意味について考えてしまいます。ポジティブなことなら「うれしい」で良いのですが、一般的に「悪いこと」と考えられることは、自分の落ち度やら責任やらを考え込んでしまいますね。

 

反省することはよいこと、なんていう風潮もあるので尚更です。私がそうだったのですが、スピリチュアルにはまってしまう原因もこんなところにあります。例えば、カルマ、前世、因果とか、スピリチュアルには自分自身を見つめ直すためのたくさんのキーワードが並んでいます。よいことばかりを自身の身に起こそうとすると、こういった言葉にとらわれ続けてしまいます。

 

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しかしですね、生きている限り、悪いこと、嫌なことっていうのは誰にでも起こるものです。嫌なことをなくそうっていう方が不自然です。「だから、ポジティブに考えなくちゃいけないんでしょ?」って思うかもしれませんが、違います。ポジティブに考えようっていうことは、結局、悪いことを浮き立たせてしまって、余計に気にするはめになってしまいます。そうではなくて、「起きたことに意味なんてない」と放っておくのです。

 

 

 

たとえば、誰かがあなたに気に入らない態度をとったとします。あなたにも非があったかもしれません。でも、いちいち、自分が悪いとか、性格治そうとか思わなくて良いのです。その人とは、相性が悪い、ただそれだけです。放っておいて大丈夫です。

 

 

 

よくスピリチュアルで「許します」とかあるでしょ?あれって、何回唱えても、相手の悪い面が強調されちゃって、許せるどころか余計に頭にきます。少なくとも、私はそうでした。それよりも、それ以上、相手に干渉しない、関わりをもたない。そっちの方がよっぽど、効果があります。だって、放っておくことで、結果的に相手に期待しない、そのままでいいことを実践しているのですから。だからこそ、嫌いな人の1人や2人、いたって良いのです。

 

 

 

周りに起きる現象が自分の思う通りに運ばなくても、そこには、やっぱり意味なんてありません。ただ、うまくいかないだけなのです。それなら、なにか違うことをやってみればいいし、違うやり方でやってみる。エジソンじゃないけれど、うまくいくまでやるか、やらないかだけの差です。

 

 

 

もし、カルマとか、前世とかって気になっているなら、それはただ単に、勝手にそう思っているだけです。ちょっと視点がずれてしまうかもしれませんが、カルマと現在の幸福感を考えた場合、この2つはいっさい関係がありません。

 

 

 

なぜなら、幸福感、充実感は自分が思えば、今すぐに感じることができるものです。お金があっても、なくても、恋人がいてもいなくても、仕事があってもなくてもすぐに感じられます。そこにカルマとか、コンプレックスとか、性格や気質とかって入る余地はないのです(もっとも、「◯◯がないと幸せではない」という条件をつけた場合は、この限りではありませんが )。逆に、今、どんなに恵まれている環境にいたとしても、幸福を感じられないなら、幸福なんてないのです。

 

 

 

この世の中って本当にシンプルです。自分がどう思いながら生きているか、だけなんですね。意味づけをしているのは他でもない、自分自身です。悪く思えば、悪いようになるし、よく思えれば、それがすばらしいことに思える。ただ、それだけなのです。このことに気づいた時、私にとってスピリチュアルはエンターテイメントに変化しました。そういう考え方も楽しくていいなって感じです。

 

 

 

 

前世、カルマ、超常現象は時には役にたつものです。そういう世界観が私たちを一時的に救ってくれることがあるからです。でも、それはやっぱり一時的。私にとっては根本的な解決策にはなりませんでした。

 

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もし、世の中を本当に楽しもうと思ったら、よい悪いを超えていかなければなりません。悪いことが起きるたびに、「これは私のあれがいけなかった」「これは、あの出来事が起きたから、自分の身にこういうことが起こった」と考えていたら、次から次へと悩みのタネを作っていくようなもの。心の平安はいつまでたっても訪れません。

 

 

 

それよりは、都合の悪いことが起こったら、すぐに反応したり、行動するんじゃなくて、ワンテンポ置いてみましょう。つまり、(聞き飽きたかもしれませんが)放っておくんです、やっぱり。ただ、そういうことが起こった、それだけだと、思っときましょう。実際、出来事は、その時だけのことで済むことが多いです。放っておければ。あれこれ考えて、反応してしまうから、いつまでも引きずってしまうのです。

 

 

 

話戻りますが、意味づけをしなくなると、何かと楽な生き方ができます。嫌いな人がいても平気になるし、風水とか占い、スピリチュアル的世界観も、さっき言ったように、ひとつの楽しみ、参考程度に聞くことができます。

 

 

 

それと、もうひとつ、ただ淡々と物事を進める力もつきますよ。 ようやっと就職した私ですが、正直にいうと、この4年間で何度も今の仕事を辞めようと思ったことがあります。人間関係は比較的よい会社ですが、やっぱり、ウマの合わない人っていうのはいます。仕事上のミスも、入りたての頃はよくやりました。そういうのが重なると、衝動的に辞めたくなるのです。

 

 

 

しかし、意味づけをしなくなると、悪いことに思える事も、その日1日で、早ければ、起きた直後に、終わりにすることができるようになりました。もちろん、完璧にではないですが、悩むほどじゃなくなったんです。

 

 

 

そうすると、なんだかんだ、文句を言いながらも仕事を素早く遂行することができるようになったし、気の合った人たちと馬鹿話もできるようになりました。会社の不満とか、嫌いな人の関係というのは大した影響を及ぼさなくなったんですね。つまり、そういうネガティブなことがあっても、一向に構わないことに気づけたのです。

 

 

「悪いこと」(のように思えること)は無理やり消したり、良いことに思う必要なんてありません。意味づけをせず、放っておければ、いずれ、気にならなくなります。

 

 

かくして、私たちは、なにものにも影響を受けず、最近ブームの(そうでもでもないかな)「ありのまま」にあることができるのです。

 

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