人生続けていれば変わる

継続はやっぱり力なり

このブログでは、積極的にメソッドとかを実行してなにかを得ることよりも、ネガティブなことが起きても、とりあえず、騒がず、慌てず、放っておきましょうというスタンスで書いています。一応、メリットを伝えているつもりですが、ブログを読んでいただければ、わかるように、個人的にたいしたことは、なにも、成し遂げておらず、大層なものも、得てはおりません。

 

しかし、継続していると、ある種の変化が起きてくるものです。それは、いわゆる「自分」という人間がほしいと思うこと、「こうなってほしい」ということに、それほど、重要性を置かなくなってくることです。

 

たいして、おもしろくもない、そんなことのなにが良いのか。それは、なにかを得た時に感じる一時の安らぎでは感じられない、穏やかで静かな感覚が芽生えるようになること。そこに、とてつもない充実感を感じられることが非常に心地よいのです。

 

外に起きる現象は、どうあっても、なにか、こう、うまくすりぬけられる感覚、なるようになる感覚をもつことができるようになります。聞こえ良い言葉で言うと、「運がよい」という状態になるのかもしれません。

あなたがやるべきことならいずれそうなる

そして、もう、それ以上、求めなくてもよいのです。ほしいものとか、やりたいこととか、いろいろあるでしょうけれど、あなたがやるべきことなら、いずれ、(時間がかかっても)そうなるでしょうし、やるべきことでないなら、実現はしないのです。

 

そこに、よい悪いを想い、どうしようもない悲哀を感じたとしても(感じても全然よい)、次の瞬間には「それでよい」と思えるようになります。これは、個人的な意見ですが、これこそが、人生を穏やかでも、楽しく(ここでいう「楽しく」とは、毎日が、バラ色とか、そういう派手な楽しさではない、もっと、静かな楽しさ)生きられる最高のカギとなり得るだろうと、感じています。

 

地味で、あまり注目されない、生き方、人生観ではあります。世の中は、どちらかというと、自分のほしいもの、やりたいことを短時間で、都合よく得ることに、重きを置いています。もちろん、それも、ありですばらしいことだと思います。しかし、生き方には、それだけではない、今、この瞬間から充実できる生き方があることを、知ってもらいたいと思っています。

 

そうすれば、気付いた時に、とおい昔に、「ああ、そういえば、こんなことを望んでいたかもしれない」とふと、思い、「なんだ、けっこう、思い通りに進んでいるんだな」って思う時が、必ずやってきます。

下手の横好きに変化が起きる

だから、今、もし、思い通りにならないことがあっても、生き続けていれば、やがて、時が解決することも起こり、心はしなやかになり、世界が変わっていくことでしょう。私も、先日、なかなか上達しない趣味の剣術で、ようやく、先生から「まあ、まだ、早いとは思うんだけれど、小太刀の練習やってみる?」とのお言葉をいただきました。

 

小太刀とは、短い刀の剣術練習で、普通の刀より、難しいのです、これが。はっきり言うと、昔の稽古であれば、私のレベルでは無理だそうです。でも、きっと、下手でも、ずっと通い続けているので、先生が「しょうがないから、そろそろやらせるか」と思ってくれたに違いありません(?)。

 

こんな風に、続けていると、現象は動いていってくれるものです。それも、勝手に。いいんですよ、自分のレベルがどうだとか、考えなくても。現象として、「できる」が現れたのだから、素直に、ありがたく受け取っていけばよいのです。

 

それにしても、小太刀ができるのは、本当にうれしかったです。ずっと、「やりたい、やりたい」と思っていたので。「人生、粘り勝ち!」誰か、そんなこと言っていたなあ。

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