「世界を変える」の視点を変える

「世界が変わらない」と悩む理由

私たちは、世界を自由に創造し、造り変えることができるとよく言われます。スピリチュアルにハマったりすると、この表現、けっこう、悩むところだと思います。なぜなら、「気に入らない現実」は依然として、目の前にあると感じてしまうからです。

 

どんなに強がっても、どんなにイメージしても、全然変わらない風景が目の前にある。「全然変わらないじゃないか!」「なぜ?自分がおかしいの?」ってフツウは考えてしまうところです。ですが、ちょっと、会社勤めを例にあげて、みていきましょうか。

 

会社勤めをするっていうことは、その時点で、ある程度、決定づけられることっていっぱいあります。たとえば、仕事は、自分の都合より、会社の都合が優先されます。個人の好きな時間に働くことはできないですね(今は、在宅でできるシステムもちらほら、出てきていますが、まだ、まだ少数だと思います)。

 

人間関係も選べません。どうして、そんな言動ができるのか、わけのわからない上司も現れます。おまけに、給料も安いんじゃ、もう、私の人生、お先真っ暗・・・。こんなところ、出ていくしかない!そうだ、転職だ!独立だ、移住だ!・・・って、これは、なにを隠そう、ちょっと、前の私であります。

 

それは、ともかく、会社に就職するということは、すでに、こういうことが付随してくるもので、私たちには、選べないことがたくさんあるものです。この「選べないこと」をもって、私たちは、「世界が変わらない」と葛藤したり、悩んだりすることがほとんどです。

選べないことは放っておいて、選べることだけをやっていく

しかし、ここで、冷静になってみましょう。たしかに、選べないことは多々あります。しかし、実は、それと同じくらい、選べることも、たくさん、あります。例えば、理不尽な上司の言うことは聞かない、給料安いなら、それなりに、効率よく仕事する(つまり、テキトーにやる)。テキトーにやって空いた時間で、趣味とか、興味のあることに向き合う(もしかしたら、別の仕事につながる可能性も出現する)

 

余談ですが、私は根っからの策士なので(嘘です!ただの八方美人・・・)、理不尽なことがあっても、直接戦うことはしません。エネルギーも余計に使いますしね。が、しかし、そんな人当たりの良さを利用して、のらりくらりかわしながら、嫌いなことは、ほぼ、やりません(これこそ、私の願望達成術であります!?)。最近、上司はそのことに気づいているみたいで、実に使いにくそうです(笑)。

 

お金のことも、たしかに、給料は安いのですが、実家暮らしという、目にはみえない資産(?)のおかげで、今すぐに、困ることもありません。また、仕事も、ほぼ、定時にあがれることを考えると、労働単価としてみた場合には、実は高かったりします。おまけに、最近、会社では、職場改善提案制度なるものが作られて、1件提案するごとに、1千円いただけることになりました。

 

これを利用しない手はありません。文章書くのが好きな私は、もう、毎月、数枚ずつ、あることないこと書いて、提出しまくっています。普段は、サボり気味の私だって、お金のためなら、やるときはやりますよ。だって、毎月にしたら、たいしたことないけれど、毎年にしたら、けっこうな額になりますから。

 

個人的なお話ばかりになってしまいましたが、ここで言いたかったことは、つまり、選べないことは放っておいて、選べることをやっていくと、ある変化を起こすことができるのです。それは、

 

1、選べないことに、目がいくことが減る(つまるところ、周りには、選べるものしかなくなる)。

2、選べることを淡々とやっていくと、うまくいくことが多くなるので自信がつく。些細なことにこだわらなくなる。

3、自分の本当の願いに気づくようになる。

 

自分にできることだけをやっていくので、だんだんと満足感を増やすことができるようになります。すると、心に余裕がでてくるようになります。心地よい状態が持続するようになります。

選べることだけを選び続けて観えてくるもの

そして、やがて重要な局面を迎えます。それが、3の「自分が本当に望んできたことは何なのか?」に気づくようになること。私の例ばかりで申し訳ありませんが、私の場合なら、望みはただひとつ、でした。

 

それは、「なにをしていようとも、心は穏やかに、できるだけ清らかな気持ちで、1日を過ごしたい。」ただ、これだけだったのです。仕事に充実感、やりがいとか、給料の高い職場、あるいは、地方に移住して静かに暮らすとかっていうのは、実は、それほど、重要ではなかったのですね。どこにいても、なにをやっていても、1日、おだやか〜に、終わればいいだけなのですから。

 

で、それに気づくと、あら不思議・・・。なんだ、それは、もう、達成されているじゃないですか。仕事が終わったら、さっさと帰って、家で、今日あったことを話して、ご飯食べて、好きなテレビ見て、気持ちよく寝る。特定の曜日が来たら、趣味に出かけて、お休みの日は、洗車でもして、時々、ドライブがてら、面白そうな映画を見にいく。

 

これだけのことができて、ほかに、なにが必要なのか?これは、できないこと、ほしいものを、無理やり我慢する、という次元では決してありません。ようやっと、本来の自分に戻れたという安心感のほうが先に立ち、ひとまず、求め続けてきた「なにか」が終わります。

そして「世界」が変わる

そして、その求め続けてきた「なにか」が終わったとき、「世界を変える」ことの意味が変わってくるのです。今まで、「こう変わらなくちゃ、嫌だ」「絶対に(短期間で)変えてやる」「世界が自分なら、なんで、自分の都合よく変わらないんだ」と、表面的に思ってきたことが影を潜め始めます。

 

そして、なんというか、かつて、「なにかを得たかった頃の自分」には決して見つけられなかった、変化を感じ取れるようになっていきます。それは、たとえば、家族とか、同僚が妙にやさしくなったこととか、昨日、だれかが引っ越してきた、近所の家が改築していたとか。

 

あるいは、ちょっと、嫌なことが起きたことでさえも、たとえば、なにか、今まで続いてきたことが終わったんだとか、気づくようになります。あくまで、感覚的なものです。

 

その変化は、別に、あなたの人生に劇的な変化をもたらすものではないでしょう。期待しないほうがいいです。でも、その周囲の変化はたぶん、あなたのなにかが変わっていることを示しています。それが何なのかは、後に、気づくことも、あるかもしれません。

 

でも、たいていは、気づかないで、いつのまにか、自分の環境が変わったときに、ふと、気づく程度。ちょうど、いつまで、続くのかと思っていた引きこもりが、いつのまにか、同僚と文句を言いながら働いている今の私になったように。

 

そんなの、当たり前で、つまらない・・・。たしかに、いつのまにか変わるのは、フツウすぎてツマラナイですね。でも、ツマラナイと思っているのは、ただ、そのように思っているだけです。長くかかったとしても、自分の世界を変えたことに変わりはないのです。

 

そうですよ、世界を創る、変えるって、こういうことなのですよ。短期間で手っ取り早く変えるだけが、世界を変えることではありません。また、私は、いつも、「放っておくこと」を言っていますが、それは、夢を諦めるとか、ほしいものを諦めることとイコールではありません。とりあえず、ほしいものは、ほしいものであっていいし、手に入るのを待っていたらいいと思います。

 

「手に入らなかったら、どうするの?」となるかもしれませんが、そんなことは、知りません。たぶん、あなたに必要なかったものなのでしょう。もし、そこで、葛藤を感じたなら、本当は、なにを求めているのか、ちょっとだけ、考えてみるといいと思います。あまり、深刻にならない程度に。

 

あなたが本当に求めているものを、なんとかの本やDVDやセミナー自体は、なにも教えてくれません。その求めているものが、どんなものであってもいいけれど、もしかして、それは、別のものとか、あるいは、別の人でもよかったり、しないでしょうか?

 

焦らずに、気長に、気が向いたときに考えてみたら、いいと思います。今日は、「『世界を変える』の視点を変える」と題して、書いてきましたが、まとめると、

 

1、「世界を変える」とは、別に、短期決戦でなくてもよい、もっと、長期でのんびりかまえて、いつのまにか、変わっていくことも世界を変えることになる

2、変えられないものを、無理やり変えようとするより、比較的容易に変えられるところから変えていくようにする。やがて、自信がつき、自身の本当の願いに気づき、「世界を変える」ことの意味が変わる。

 

まあ、一言で言うとですね、変えられないものは放っておいて、変えられることを淡々とやっていけば、そのうち、なにか変わって、案外、それが自分のほしかったものだったりするよ、っていうことでした(っていうか、一言になってないな・・・)。

 

今日は、こんな感じですが、いつもながら、ちょっと、うまくまとまらなかったですね。スミマセン・・・。

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